東光院

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天徳山東光院(とうこういん)[MAP]は富田にある臨済宗妙心寺派の寺院。

大永年間 (1521-1528年/室町)大円寺属の庵寺として大源孚公首座 (1573年 (天正元年/安土桃山) 没) によって打杭峠の麓[MAP]で開山した。1572年 (元亀3年/安土桃山) 11月、岩村城の戦いで大円寺が焼失したが、火水観音を祀る庵寺は難を逃れた。その後、加茂郡蜂谷村から大円寺に縁のある瑞林寺七世竺源玄盛禅師がやってきて大円寺の再興を試みたが、旧藩主の菩提寺であったことから当時の藩主松平乗寿がこれを許さず、代わりに元和年間 (1615-1624年/江戸初期) に竺玄の弟子が現在の場所で東光院を再興したと云われている。


案内板

臨済宗妙心寺派 天徳山東光禅院

当山は旧明覚山大円寺に属し大源孚公首座によって大永年間 (一五二一年〜一五二八年) 打杭(うちぐい)山中に開創された。本尊不見日観音菩薩(ひみずかんのんぼさつ)は旧大円寺に祀られていたが、元亀三年十一月 (一五七二年) 武田信玄の軍によって焼かれた折、当山に移されたと伝えられる。堂内には大円寺最後の住職で、甲斐の恵林寺、飛騨の禅昌寺の住職、妙心寺大本山の管長をつとめた希菴玄密(きあんげんみつ)禅師の位牌を安置している。希菴禅師は大円寺焼亡の折、武田方の刺客によって(たお)された縁によるものである。元和年間 (一六一五年〜一六二四年) 加茂郡蜂谷村 (現、美濃加茂市) 瑞林寺七世竺玄盛禅師は大円寺の復興を志したが当代の岩村藩主、松平乗寿(のりなが)は之を許さなかったので、当山を現在地に移し中興した。

文政二年 (一八一九年) に火災に遭い天保十四年 (一八四二年) 現在の伽藍(がらん)を再営した。門前の弘法大師の像は大永の年号を刻み当山開創の頃からの像である。

天徳山東光院 岩村町観光協会

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資料撮影 2009/08 [1]

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