笠塔婆 (両伝寺)
提供:安岐郷誌
ファイル:両伝寺の笠塔婆01.jpg
両伝寺の笠塔婆
両伝寺のは両伝寺の田場から南の高台に建てられている荻野平右衛門元雄の墓石。元雄は松平家乗に従って那波郡から移り
碑文
笠塔婆の三面に漢文調で両伝寺開拓の碑文が彫られている。ただし下の方は苔に侵食されて一部判読不である。
岩村東部の阿木の小さな丘に一本の松樹がある。地元の人は ── 我が宗藩光太夫荻野氏の墓であろう。
諱 を元雄と言い大聖公 (松平家乗) 公が岩村に移封されたのに従って移る。─ 阿木の両伝寺
寛永9年 (1632年/江戸初期) 4月25日 享年70歳 俗名 荻野平右衛門元雄 (後に一平次)
明和5年 (1768年/江戸中期) 4月25日 荻野甚五左衛門元孝 奉之
禎祥院慶譽宗賀居士
荻野墳碑
岩邑東部阿木有一培塿松樹殖焉土人──
葢我宗藩光大夫荻野子之墓也諱元雄従参之大神
來臣事 大聖公 公移封岩邑従徙焉──
采阿木两傳寺後告老居于斯卒而安焉其三──
分族我藩五傳至今之元孝夫荻子於国古之──
冝其子孫縄々葢自 大聖公百有餘歳中卌──
十數所其世臣故家之墓在其他者──
而後事穪之時祀不絶者将其政治所以得──
于他者乎其百數年之遠而追思──
公再封此地本支累世歴々於二藩又使其──
奉其萬者天之報善人可不謂厚矣今茲元──
其墳使
有言其陰元孝今爲卒陰長其在──
爲大夫云 福元 ─
于時寛永九壬申歳四月廿五日行年七十歳
俗名荻野平右衛門元雄後一平次之
明和五戌子年四月廿五日
荻野甚五左衛門元孝 奉之