信濃守藤原陳忠落入御坂語

提供:安岐郷誌
(版間での差分)
移動: 案内, 検索
(ページの作成: 昔々、信濃守w:藤原陳忠という人が居て任地に赴き国を治めていた。任務を終えて多くの馬に人や荷物を乗せて京都へ帰る途中、...)
 
(外部リンク)
 
(1人の利用者による、間の16版が非表示)
1行: 1行:
昔々、信濃守[[w:藤原陳忠|藤原陳忠]]という人が居て任地に赴き国を治めていた。任務を終えて多くの馬に人や荷物を乗せて京都へ帰る途中、吊橋の端の板を後ろ足で踏み抜いて馬ごと真っ逆さまに転落した。
+
{{ruby|<strong>信濃守藤原陳忠落入御坂語</strong>|しなののかみふぢはらののぶただみさかにおちいること}}は[[w:今昔物語集|今昔物語集]]巻二十八 第三十八に収められている平安時代 {{note|(1003年/長保5年)}} の逸話。舞台は[[神坂峠]]である。「{{ruby|[[w:受領|受領]]|ずりょう}}たる者はいかなる時でも儲けとなるよう立ち回れ」という訓導が、事故にもめげない強欲な殿様という笑い話仕立てで伝えられている。
  
谷底はどれほどになるかも分からないくらい深く生きているはずもない。20尋 {{note|(36.5m)}} にもなるヒノキや杉の木の下に生い茂る梢が遙か底の方に見えるとなれば下までいかほどかも分かるだろう。そこに落ちたともなれば生きている可能性は全くない。多くの家臣が馬を下り吊橋の端に並んで底を見下ろしたが何も出来ることもなく、「更に甲斐なし。下りられる所があれば下りて殿の様子を見られるが、谷の浅い方から廻って行っても一日かかる。今すぐに底へ向かう事も敢えてなく、いかがしたものか。」などと口々に話している所に、遙か底の方から叫ぶ声が聞こえた。
+
==訳文==
 +
[[File:Pleurotus ostreatus JPG4.jpg|thumb|平茸]]
 +
昔々、信濃守[[w:藤原陳忠|藤原陳忠]]という人がおり信濃に赴き国を治めていた。任務を終えて人や荷物を多くの馬に乗せ京都へ帰る途中、馬の後ろ足が橋のたもとの板を踏み抜いて馬ごと真っ逆さまに転落してしまった。
  
「殿が居られるぞ」などと言い、待ち叫びしてみると殿が何かを叫んでいる声が遙か遠くに聞こえる。「その、ものをのたまうるのは、穴鎌、何を言っているのか聞け」と言えば「『籠に縄を長く付けて下ろせ』と言う」と。殿は生きて物に留まりおわしていると分かり、籠に多くの人の差縄を取り集めて結び継ぎ、ソレソレと下ろした。縄の残りも無くなるほどに下ろしたところで縄は止まった。今下に着いたと思っている所に、底の方から「今引き上げよ」という声が聞こえる。それ引けと言いながら繰り上げたが極めて軽く上がってくる。「この籠は軽すぎる。殿が乗っているならもっと重いはず。」と言えば、ある者は「木の枝などが取りすがっているのであれば軽いだろう。」などとも言いながら集まって引き、籠を引き上げてみれば籠は平茸でいっぱいであった。皆で顔を見合わせていぶかしがり「これはどういう事だ」と言っているとまた底の方から「もう一度下ろせ」と叫ぶ声がする。
+
谷底の深さはどれ程になるかも分からない。とても生きているとは思えなかった。はるか底に20尋 {{note|(36.5m)}} にもなろうかというヒノキや杉の木の下に生い茂る梢が見えるとなればその高さが知れるだろう。そこに落ちたともなれば生きている可能性は全くない。
  
これを聞いて「また下ろせ」と言い籠を下ろし、また下より「引け」という声があり従って引いてみると今度は極めて重い。大人数がかりで引き上げてみれば殿は籠に乗って繰り上げられた。殿は片手に縄を持ち、もう片手には平茸を三房ほど持って上がってきた。引き上げて吊橋の上にたどり着くと家臣等は喜び合って「そもそもこの平茸は何ですか」と問えば「転落したときに馬が先に落ち私がその後に落ちた。木の枝が折り重なって茂っている上に運良く掛かってその木の枝に捕まり下の大きな木の枝が障り、それを踏んで大きな枝の又に取り付き、それにしがみついて留まった。その木に平茸が多く生えていたので見捨て難く、まず手の届く限りを取って籠に入れ上げたがまだ残っていた。言い難い程多い。誠に損だ。誠に損した気持ちだ。」と言えば家臣等も「確かに御損で御座います」などと言い、その場に集まっていた者で皆で笑った。
+
多くの家臣が馬を下り橋のたもとに並んで底を見下ろしたが「どうしたものか。下りられる道でもあれば下りて殿の様子を見られるが、谷の浅い方から廻っても丸一日はかかる。今すぐに谷底へ向かう事もままならない。いかがしたものか。」などと途方に暮れている所に、遙か底の方から叫ぶ声が聞こえた。
  
殿は「おまいら僻事などと言うなよ。宝の山には入って何も持たずに帰った心地である。『[[dic:ずりょうはたおるるところにつちをつかめ|{{ruby|受領|ずりょう}}は{{ruby|倒|たお}}るる所に土を{{ruby|掴|つか}}め]]』と言うぞ。」と言えば、年配の御目代は「そうは思えない」と思うが「確かにその通りで御座います。都合の良いものは何であれ取るもので御座います。誰であろうとも取らないべきでは御座いません。元から頭の賢い人は死に際においてでも心を平静に保ち、万事をいつもの如く用い仕ることで、騒がず取るもので御座います。国の政でも物をよく納めさせ思いの如く上らせれば、国の人も親の様に慕う物で御座います。されば末には万歳千秋もおわしますべきなり。」などと言って、忍んで己等が人笑いける。
+
「殿が居られるぞ!」と叫び返してみるとはるか遠くから殿が何かを叫んでいる声が聞こえる。「何かを言っておられる。穴鎌、何事を言っているのか聞け」と言えば「『籠に縄を長く付けて下ろせ』と言っておられます」と。殿が生きてどこかに留まりおわすと分かり、皆の[[dic:差縄|差縄]]を取り集めて籠に結び継ぎ、ソレソレと下ろした。
  
これを思うに、このような目に遭っても肝心を惑わされず、まず平茸を取り上げる心こそ糸むく付けれ。ましてや便宜ある物を取る事こそと思いやられ。
+
縄の残りも無くなるほど下ろしたところで縄は止まった。下に着いたかと思っていると底の方から「引き上げよ」との声が聞こえる。それ引けと言いながら繰り上げたが不自然に軽く上がってくる。「この籠は軽すぎる。殿が乗っているならもっと重いはずだが。」「木の枝などが取りすがっているのであれば軽いだろう。」などと言いながら集まって引いた。しかし籠を上げてみれば中は平茸でいっぱいであった。
  
これを聞く人は非難で笑うと語り伝えられていると。
+
「これはどういう事だ」などと皆で顔を見合わせていぶかしがっていると底の方から「もう一度下ろせ」と叫ぶ声がした。これを聞き「また下ろせ」と籠を下ろす。下より再び「引け」という声がする。従って引いてみると今度は極めて重い。大人数がかりで引き上げてみれば殿が籠に乗って繰り上げられた。
  
<div class="note right">
+
殿は片手に縄を持ち、もう片手には平茸を三房ほど持って上がってきた。引き上げて橋の上にたどり着くと家臣等は喜び合い「そもそもこの平茸は何で御座いますか」と尋ねた。
[[w:今昔物語集|今昔物語集]]巻二十八 信濃守藤原陳忠落入御坂語 第三十八より 〜
+
 
</div>
+
「転落したときに馬が先に落ち私がその後に落ちた。木の枝が折り重なって茂っている上に運良く掛かってその木の枝に捕まり、下の大きな木の枝に足を付いて大きな枝の股に取り付き、それにしがみついて留まった。その木に平茸が多く生えていたので見捨て難く、まず手の届く限りを取って籠に入れ上げたがまだ残っていた。言い表し難いほど程に多かった。誠に損だ。誠に損した気持ちだ。」と言えば家臣等も「確かに御損で御座います」などと言い、その場に集まっていた者で皆で笑った。
 +
 
 +
殿は「汝等、[[dic:僻事|僻事]]などと言うでないぞ。宝の山には入って何も持たずに帰った気分なのだ。『'''[[dic:受領は倒るる所に土を掴め|{{ruby|受領|ずりょう}}は倒るる所に土を掴め]]'''』と言うものだ。」と言う。年配の御目代は「とてもそうとは思えない!」とは思ったが、「確かにその通りで御座います。都合の良いものは何であれ取るもので御座います。誰であろうとも取らないべきでは御座いません。元から頭の賢い人は死に際においてでも心を平静に保ち、万事をいつもの如く利用し、騒がずに取るもので御座います。国の政でも物をよく納めさせ、望むように上らせれば、国の人も親の様に慕う物で御座います。されば末には万歳千秋もおわします。」などとは言ったが、言った本人も忍んで笑った。
 +
 
 +
これを思うに、このような目に遭ってでも肝心を惑わされず、まず平茸を取り上げる心は評価されるべきであろう。ましてや便宜ある物を取る事こそと思われる。しかしこれを聞く人は強欲さに笑うと語り伝えられている。
  
 
==関連項目==
 
==関連項目==
 
* [[神坂峠]]
 
* [[神坂峠]]
  
[[Category:伝承|しなののかみふしわらのふたたおちいりみさかかたり]]
+
==外部リンク==
 +
* [http://kotobank.jp/word/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E9%99%B3%E5%BF%A0 藤原陳忠とは] - コトバンク
 +
 
 +
[[Category:伝承|しなののかみふちはらののふたたみさかにおちいること]]
 
[[Category:神坂|しなののかみふしわらのふたたおちいりみさかかたり]]
 
[[Category:神坂|しなののかみふしわらのふたたおちいりみさかかたり]]
 +
[[Category:阿智|しなののかみふしわらのふたたおちいりみさかかたり]]
 +
[[Category:中世|しなののかみふしわらのふたたおちいりみさかかたり]]
 +
[[Category:東山道|しなののかみふしわらのふたたおちいりみさかかたり]]

2009年8月29日 (土) 08:16時点における最新版

信濃守藤原陳忠落入御坂語(しなののかみふぢはらののぶただみさかにおちいること)今昔物語集巻二十八 第三十八に収められている平安時代 (1003年/長保5年) の逸話。舞台は神坂峠である。「受領(ずりょう)たる者はいかなる時でも儲けとなるよう立ち回れ」という訓導が、事故にもめげない強欲な殿様という笑い話仕立てで伝えられている。

[編集] 訳文

昔々、信濃守藤原陳忠という人がおり信濃に赴き国を治めていた。任務を終えて人や荷物を多くの馬に乗せ京都へ帰る途中、馬の後ろ足が橋のたもとの板を踏み抜いて馬ごと真っ逆さまに転落してしまった。

谷底の深さはどれ程になるかも分からない。とても生きているとは思えなかった。はるか底に20尋 (36.5m) にもなろうかというヒノキや杉の木の下に生い茂る梢が見えるとなればその高さが知れるだろう。そこに落ちたともなれば生きている可能性は全くない。

多くの家臣が馬を下り橋のたもとに並んで底を見下ろしたが「どうしたものか。下りられる道でもあれば下りて殿の様子を見られるが、谷の浅い方から廻っても丸一日はかかる。今すぐに谷底へ向かう事もままならない。いかがしたものか。」などと途方に暮れている所に、遙か底の方から叫ぶ声が聞こえた。

「殿が居られるぞ!」と叫び返してみるとはるか遠くから殿が何かを叫んでいる声が聞こえる。「何かを言っておられる。穴鎌、何事を言っているのか聞け」と言えば「『籠に縄を長く付けて下ろせ』と言っておられます」と。殿が生きてどこかに留まりおわすと分かり、皆の差縄を取り集めて籠に結び継ぎ、ソレソレと下ろした。

縄の残りも無くなるほど下ろしたところで縄は止まった。下に着いたかと思っていると底の方から「引き上げよ」との声が聞こえる。それ引けと言いながら繰り上げたが不自然に軽く上がってくる。「この籠は軽すぎる。殿が乗っているならもっと重いはずだが。」「木の枝などが取りすがっているのであれば軽いだろう。」などと言いながら集まって引いた。しかし籠を上げてみれば中は平茸でいっぱいであった。

「これはどういう事だ」などと皆で顔を見合わせていぶかしがっていると底の方から「もう一度下ろせ」と叫ぶ声がした。これを聞き「また下ろせ」と籠を下ろす。下より再び「引け」という声がする。従って引いてみると今度は極めて重い。大人数がかりで引き上げてみれば殿が籠に乗って繰り上げられた。

殿は片手に縄を持ち、もう片手には平茸を三房ほど持って上がってきた。引き上げて橋の上にたどり着くと家臣等は喜び合い「そもそもこの平茸は何で御座いますか」と尋ねた。

「転落したときに馬が先に落ち私がその後に落ちた。木の枝が折り重なって茂っている上に運良く掛かってその木の枝に捕まり、下の大きな木の枝に足を付いて大きな枝の股に取り付き、それにしがみついて留まった。その木に平茸が多く生えていたので見捨て難く、まず手の届く限りを取って籠に入れ上げたがまだ残っていた。言い表し難いほど程に多かった。誠に損だ。誠に損した気持ちだ。」と言えば家臣等も「確かに御損で御座います」などと言い、その場に集まっていた者で皆で笑った。

殿は「汝等、僻事などと言うでないぞ。宝の山には入って何も持たずに帰った気分なのだ。『受領(ずりょう)は倒るる所に土を掴め』と言うものだ。」と言う。年配の御目代は「とてもそうとは思えない!」とは思ったが、「確かにその通りで御座います。都合の良いものは何であれ取るもので御座います。誰であろうとも取らないべきでは御座いません。元から頭の賢い人は死に際においてでも心を平静に保ち、万事をいつもの如く利用し、騒がずに取るもので御座います。国の政でも物をよく納めさせ、望むように上らせれば、国の人も親の様に慕う物で御座います。されば末には万歳千秋もおわします。」などとは言ったが、言った本人も忍んで笑った。

これを思うに、このような目に遭ってでも肝心を惑わされず、まず平茸を取り上げる心は評価されるべきであろう。ましてや便宜ある物を取る事こそと思われる。しかしこれを聞く人は強欲さに笑うと語り伝えられている。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

個人用ツール
名前空間

変種
操作
案内
Sponsored Link
ツールボックス
Sponsored Link