子安寺
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毎年4月18日の大祭には飯沼のみならず周辺地域の信者たちを集めて餅投げを行い舞台を組んで踊りなどを奉納している。また毎月18日には[[禅林寺]]のおっさん {{note|(和尚さん)}} がお参りしている。 | 毎年4月18日の大祭には飯沼のみならず周辺地域の信者たちを集めて餅投げを行い舞台を組んで踊りなどを奉納している。また毎月18日には[[禅林寺]]のおっさん {{note|(和尚さん)}} がお参りしている。 | ||
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* [[神明神社]] | * [[神明神社]] | ||
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2009年8月13日 (木) 19:20時点における最新版
神社仏閣 | |
---|---|
出生山子安寺 | |
所在地 | 岐阜県中津川市飯沼字宮ノ根1363 |
位置 | N35:24:54.37, E137:27:52.65 (標高約500m) |
宗派 | 天台宗 |
本尊 | 如意輪観音 |
例祭 | 毎年4月18日 |
出生山
毎年4月18日の大祭には飯沼のみならず周辺地域の信者たちを集めて餅投げを行い舞台を組んで踊りなどを奉納している。また毎月18日には禅林寺のおっさん (和尚さん) がお参りしている。
目次 |
[編集] 沿革
- 1479年 (文明11年/室町) 岩村の殿様が寄附と伝えられるが家譜が途切れており遠山氏の何侯か不明。
- 1758年 (宝暦8年/江戸中期) 恵那山十三観音を定め十一番とする(飯沼旧記)。
- 1777年 (安永6年/江戸中期) 開帳 (宮地文書)。
- 1782年 (天明2年/江戸中期) 岩村城の若君、姫君他50名参拝 (松平乗保の代)。
- 1838年 (天保9年/江戸後期) 開帳。
- 1841年 (天保12年/江戸後期) 内殿修理。入仏式。
- 本尊が盗まれかけたことがあって、庄屋の宮地が預かっていた。江戸の末期か明治に入った頃に茅葺のお堂を建ててそこに移した (伊藤さ)。
[編集] 風景
- Iinuma koyasukannon01.jpg
2009/06 宮ノ根の子安観音。
- Iinuma koyasukannon02.jpg
2009/06 宮ノ根の大杉。
- Iinuma koyasukannon03.jpg
2009/06 お堂と庫裡。
- Iinuma koyasukannon04.jpg
2009/06 雨戸もある昭和の古い造り。
- Iinuma koyasukannon05.jpg
2009/06 子安庫裏 杉渢庵。
- Iinuma koyasukannon06.jpg
2009/06 庫裡。
- Iinuma koyasudo01.jpg
2009/06 観音前 天保四年 (1833年/江戸後期)。
- Iinuma koyasudo02.jpg
2009/06 大杉。
[編集] 文献散策
[編集] 巖邑府誌
巖邑府誌[1]の飯妻では飯沼での子安講の発祥について書かれている。
遠山氏夫人の
湯沐邑 であったためこの名が付いたと伝えられる。字は妻に与えた米の取れる土地という事から当てている。土壌や貢賦はおおむね安岐と同程度である。一説によればその昔、遠山氏夫人が難産に苦しめられたが医祷によってつつがなく分娩を終えたという事があり、湯沐邑もその祭資を提供した御利益で今でも村人は難産に苦しめられないという。このお堂は昔は村の東にあったが後の人が今の場所に移すと云う。また数囲にもなるような古代の石塚が存在するが誰の塚なのかは分かっていない (祖一の墓かもしれない)。
遠山氏婦人の湯沐邑であったことが飯妻 (飯沼) の名と子安講の由来であると書かれている。石塚とは飯沼に点在する古墳のいずれかと思われるがどれを指しているのかは不明。元々子安様が祀られていたのは現在の宮ノ根より東ということであるが具体的な場所は書かれていない。禅林寺が建つ前の場所か、それとももっと先の血洗池のほとりだろうか。
[編集] 角川日本地名大辞典
角川日本地名大辞典[2]によれば 1785年 (天明5年/江戸中期) に大黒天・恵毘須天が開眼、1787年 (天明7年/江戸中期) に七福神が開眼し豊年祭と称し村中を練り歩いたとある。
- ^ 巖邑府誌, 首藤元震, 1751年(寛永4年) (岩村町教育委員会, 昭和53年, 大衆書房)
- ^ 角川日本地名大辞典 21 岐阜県, 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 竹内理三, 1980年(昭和55年), 株式会社角川書店, ISBN 978-4040012100