神明神社 (飯沼)
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2009年6月22日 (月) 19:08時点における版
神社仏閣 | |
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神明神社 | |
所在地 | 岐阜県中津川市飯沼字宮ノ根1363 |
位置 | N35:23:10.65, E137:27:42.37 (標高500m) |
祭神 |
目次 |
風景
宮ノ根の大杉
神明神社の鳥居の上には巨大な杉が二本立っている。
石鳥居石燈籠
鳥居後ろの石段右に立っている石碑。現在の石鳥居と石燈籠の寄付者一覧であろう。1924年 (大正13年) 12月に建てられたものである。
文献散策
巖邑府誌
村内の鬱蒼とした森の中に大神廟がある。言い伝えによれば大昔に日の神が恵那岳に降り立ち、胞衣を納めたことから胞山という名が付いたと云われている (国が
胞衣 を恵那とした)。お産の穢れを清めた事からその名の着いた血洗池が竜泉山にある。またへその緒を切った鎌が三森神社に納められている。大神廟はこれらの遺跡である。この大神廟は占いをして伊勢の
度会 郡に遷ったという。この事から伊勢廟の御用材には恵那岳の木材を献上して今に至るとの事である。もちろん根拠が無く信ずるに足らないが、国史では垂仁天皇 25 年 (紀元前5年) に倭姫命 が大神鎮座の地を求めて近江 (滋賀県) の東から美濃を廻って伊勢に至ったと云われている。つまり、かつて倭姫命が占いをして現在の地に決めるまでの行宮 (仮宮) と言われるようなことがあったのかもしれない。そうして里人がたくさんの妄説を付けたのである。8 月 16 日に花火を上げてこの神を祭る。おそらく戦国から続いている風習だろう。
大神廟とは天照大神の神社、つまり神明神社の事である。 [../../legend/amaterasu/index.xhtml天照大神の胞衣伝説]については別ページに記述した通り。 現在でも打ち上げ花火ほどではないが、夏になると小さな花火を上げているとのことである。
角川日本地名大辞典
角川日本地名大辞典[2]によれば 1656年 (明暦2年/江戸初期) の再興で白山・熊野権現を合祀し、祭礼には花火を奉納、1813年 (文化10年/江戸後期) から繰り人形、 1822年 (文政5年/江戸後期) から笹踊り、1827年 (文政10年/江戸後期) から再び花火を奉納とある。
- ^ 巖邑府誌, 首藤元震, 1751年(寛永4年) (岩村町教育委員会, 昭和53年, 大衆書房)
- ^ 角川日本地名大辞典 21 岐阜県, 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 竹内理三, 1980年(昭和55年), 株式会社角川書店, ISBN 978-4040012100