風神神社
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== 由緒書き == | == 由緒書き == | ||
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境内に建てられている石碑の裏側には以下のように掘られている。 | 境内に建てられている石碑の裏側には以下のように掘られている。 | ||
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− | < | + | <span style="font-size:115%;">風神神社</span><br/> |
− | + | 本殿造營遷宮記念<br/> | |
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− | </ | + | <tr><th>御鎮座</th><td>中津川市阿木字川入</td></tr> |
+ | <tr><th>御祭神</th><td>天御柱命・國御柱命</td></tr> | ||
+ | <tr><th></th><td>別命 級長都彦神・級長都姫神</td></tr> | ||
+ | <tr><th>御神徳</th><td>風難防護・延命長壽</td></tr> | ||
+ | <tr><th>例大祭</th><td>八月三十一日</td></tr> | ||
+ | <tr><th>二百十日祭</th><td>九月十日</td></tr> | ||
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+ | 御祭神は宇宙間の大気を主宰し給ふ神様で 元和四年六月 大和國龍田大社より御分霊を勧請す 江戸時代より風災防除の守護神として 美濃、尾張、三河、信濃、遠州の各地に 特別な崇敬と信仰を集め来れり 戦後参拝者の中絶ありしも 伊勢湾台風以来再び往時を凌ぐ隆盛を見るに至りしは 霊験あらたかなる御神徳のしからしむる所なり | ||
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+ | 昭和四十五年以来駐車場の新設、籠堂の移築、玉垣、狛犬、石燈籠の建立、拝殿御屋根葺替、御神札頒布所の改築等御社頭の整備擴張を致し 昭和五十九年八月 七十年の歳月を経て 御本堂の再建造営を竣工し 遷宮大祭を齊行し奉る | ||
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+ | 氏子崇敬者各位の御奉賛を心から深謝申し上げて記念の碑を建つ | ||
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+ | 昭和五十九年八月二十六日 | ||
+ | </hibun> | ||
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+ | {{年号|1618}} 6月に奈良生駒の[http://genbu.net/data/yamato/tatuta2_title.htm 龍田大社]より天御柱命 ({{ruby|[[w:級長津彦命|級長津彦命]]|シナツヒコノミコト}}/男神)、国御柱命 ({{ruby|級長都姫命|シナツヒメノミコト}}/女神) 勧請と記されている。 | ||
== 四方山話 == | == 四方山話 == |
2009年6月24日 (水) 05:09時点における版
神社仏閣 | |
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風神神社 | |
所在地 | 岐阜県中津川市阿木字川入5740-1 |
位置 | N35:22:57.26, E137:30:04.60 (標高740m) |
祭神 | |
例祭 | 毎年8月28日〜9月1日 (8月31日大祭) |
交通 | 国道363号から真原農免道、燈籠場より林道を上る |
立春から数えて
目次 |
沿革
風窟が祀られた時期は定かでない。阿木川上流の山々が古くは行事岳と呼ばれ長楽寺や龍泉寺修行僧の修験の場とされていた事から、長楽寺の隆盛期である平安から戦国の頃には霊場と祀られていたものと考えられる。
1959年 (昭和34年) 9月26日、伊勢湾台風の時に風神神社を参拝した人々の家だけが被災を免れたという事から霊験が広まり、近年でも大祭の折には愛知県などの遠方から信仰者が訪れている。
昭和50年代に風神神社の由緒や例祭様式が奈良龍田大社に由来していることが分かり、以来毎年の例祭時には龍田大社から宮司さんを招いている。
1983年 (昭和58年) の 9.28災害で神社横の沢が氾濫し社殿が倒壊。また参道の一部も崩落して通行不能となった。現在の社殿はその後に再建されたものである。
1618年 (元和4年/江戸初期) | 風神神社再建。 |
1983年 (昭和58年) | 9月28日、台風10号により社殿倒壊。 |
風景
風窟
風窟 (風穴) とは拝殿裏手にあたる大岩の隙間である。この風窟からは一年中風が吹き出ており、ここに風の神が住んでいると言われている。大岩の上に置かれている小さな祠は拝殿から見た本殿にあたる。その下の風窟が御神体という自然造形的な特徴を生かした造りとなっている。
風窟に物を投げ込むとたちまち暴風雨に見舞われると言われている。風窟の周辺は
由緒書き
境内に建てられている石碑の裏側には以下のように掘られている。
風神神社
本殿造營遷宮記念
御鎮座 中津川市阿木字川入 御祭神 天御柱命・國御柱命 別命 級長都彦神・級長都姫神 御神徳 風難防護・延命長壽 例大祭 八月三十一日 二百十日祭 九月十日 御祭神は宇宙間の大気を主宰し給ふ神様で 元和四年六月 大和國龍田大社より御分霊を勧請す 江戸時代より風災防除の守護神として 美濃、尾張、三河、信濃、遠州の各地に 特別な崇敬と信仰を集め来れり 戦後参拝者の中絶ありしも 伊勢湾台風以来再び往時を凌ぐ隆盛を見るに至りしは 霊験あらたかなる御神徳のしからしむる所なり
昭和四十五年以来駐車場の新設、籠堂の移築、玉垣、狛犬、石燈籠の建立、拝殿御屋根葺替、御神札頒布所の改築等御社頭の整備擴張を致し 昭和五十九年八月 七十年の歳月を経て 御本堂の再建造営を竣工し 遷宮大祭を齊行し奉る
氏子崇敬者各位の御奉賛を心から深謝申し上げて記念の碑を建つ
昭和五十九年八月二十六日
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1618年 (元和4年/江戸初期) 6月に奈良生駒の龍田大社より天御柱命 (
四方山話
- 古くは長楽寺から現在のマス池の橋付近に出る山道を参道としていたが、真原からの林道が整備された事により使われなくなった。