笠塔婆 (両伝寺)
提供:安岐郷誌
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2010年1月7日 (木) 00:10時点における版
両伝寺の
碑文
笠塔婆の三面に漢文調で両伝寺開拓の碑文が彫られている。ただし下の方は苔に侵食されて一部判読不である。
岩村東部の阿木の小さな丘に一本の松樹がある。地元の人は ── 我が宗藩光太夫荻野氏の墓であろう。
諱 を元雄と言い大聖公 (松平家乗) 公が岩村に移封されたのに従って移る。─ 阿木の両伝寺
寛永9年 (1632年/江戸初期) 4月25日 享年70歳 俗名 荻野平右衛門元雄 (後に一平次)
明和5年 (1768年/江戸中期) 4月25日 荻野甚五左衛門元孝 奉之
禎祥院慶譽宗賀居士
荻野墳碑
岩邑東部阿木有一培塿松樹殖焉土人──
葢我宗藩光大夫荻野子之墓也諱元雄従参之大神
來臣事 大聖公 公移封岩邑従徙焉──
采阿木两傳寺後告老居于斯卒而安焉其三──
分族我藩五傳至今之元孝夫荻子於国古之──
冝其子孫縄々葢自 大聖公百有餘歳中卌──
十數所其世臣故家之墓在其他者──
而後事穪之時祀不絶者将其政治所以得──
于他者乎○其百數年之遠而追思──
公再封此地本支累世歴々於二藩又使其──
奉其萬○者天之報善人可不謂厚矣今茲元──
其墳使○有言其陰元孝今爲卒陰長其在──
爲○大夫云 福元 ─
于時寛永九壬申歳四月廿五日行年七十歳
俗名荻野平右衛門元雄後一平次○之
明和五戌子年四月廿五日
荻野甚五左衛門元孝 奉之