飯沼
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沿革
岩村城遠山氏の代々夫人に与えられた供米の取れる地であったため飯妻と呼ばれるようになったと云われている。巖邑府誌によればそれ以前は大野村と呼ばれていたのではないかと推測しているが確かではない。
新杜の開拓由来記によれば 1703年 (元禄16年/江戸初期) に大野村と広岡新田を分離し、大野村を飯沼村の枝村と定めている。現在の大野が飯沼の飛び地となっているのはこのためであろう。
巖邑府誌によれば遠山夫人がこの飯妻村で安産の祈祷し、村はその供物などを納めていたために村人は難産しなくなったと云われている。この風習は岩村から遠山氏が居なくなった後も継がれ現在でも子安講として続いている。
角川地名辞典によれば 1699年 (元禄12年/江戸初期) 頃からは沼地が多かったため飯沼村と呼ぶようになったという。戦国期に遠山氏が滅亡し湯沐邑でなくなって妻の意味が薄れたものと思われる。
飯沼村は明治の大合併 (1897年/明治30年) で阿木村と合併してその名は字として残る事となった。現在飯沼の名前は中津川市の大字。
飯沼上
新田
は後田川が山から出る付近。
中尾
上樋角 ![[MAP]](/map.png)
下樋角 ![[MAP]](/map.png)
山ノ田
は後田川の山際付近。
矢筈
。大野農免農道ができる前は辻の五輪堂付近から矢筈に出る道が使われていた。
梨坪
鞍坪
は梨坪から飯沼川を下った付近。
大日向
は大野農免農道沿いで辻の北側。その名が示す通り日当たりが良く広く田畑が開けている。大日向遺跡があり丘の上に新田の祠が祀られている。
小日向
千羽鳥屋
は国道363号を挟んで血洗神社の反対側の一帯。字千羽鳥屋 1511-1 にフォーティーンヒルズCCあり。
飯沼下
脇田
は大野農免道から方外戸の倶楽部への道が分かれる付近。字脇田 366-1 に藤工あり。
宮ノ根
は旧岩村街道・旧県道407号沿いに位置する飯沼の中心地。神明神社、お子安さんなどがある。神明橋から飯沼川沿いに飯沼駅までつながる道は昭和60年頃まで県道407号として使用されていた。またお子安さんの左を抜けて大野農免農道に出る小道は旧岩村街道である。
五反田
山之神
市之坪
は飯沼駅付近。
木ノ下
飯野
藪下
は鞍坪に向かう三叉路付近。同名の福祉巡回バスの停留所あり。
ランドマーク
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宮ノ根遺跡
宮ノ根古墳
は5世紀末から6世紀前半と推定される棺や石室を持たない直葬式の円墳。大野農免道沿いのゲートボール場
を造成するために遺跡を削ったところ刀が出土したという。
飯野遺跡
木ノ下古墳
西山遺跡
狐塚1号古墳
は古墳時代の円墳。昭和42年発掘調査。現在山林。