乗政寺山墓地

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{{ruby|'''大名墓地'''|だいみょうぼち}}<map name="大名墓地" lat="35.36703" lon="137.445292"/>は旧岩村高校の東の丘 (乗政寺山) にある古い墓地。江戸時代初期から中期までの[[岩村城主]]やその家族、家臣の墓が残っている。また[[下田歌子]]の墓もここに建てられている。
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{{ruby|'''大名墓地'''|だいみょうぼち}}<map name="大名墓地" lat="35.36703" lon="137.445292"/>は旧岩村高校の東の丘 (乗政寺山) の南麓にある古い墓地。江戸時代初期から中期までの[[岩村城主]]やその家族、家臣の墓が残っている。また[[下田歌子]]の墓もここに建てられている。
  
江戸時代初期、松平家乗が上野国[[w:那波藩|那波藩]]から岩村藩へ転封された時にこの丘に<strong>久翁山龍巌寺</strong>という寺を建てた。しかし継いだ家寿が駿河国[[w:浜松藩|浜松藩]]へ転封されるに伴い龍巌寺も浜松へ移っていった。入れ替わりで入った丹羽氏信は龍巌寺の跡地に曹洞宗の<strong>妙仙寺</strong>を建てた。
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==沿革==
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{{年号|1601}}、松平家乗が上野国[[w:那波藩|那波藩]]から転封され乗政寺山に菩提寺'''久翁山龍巌寺'''を建立。{{年号|1614}} に家乗が没すると寺内の墓地に葬られ家督は家寿が継いだ。しかし {{年号|1638}} 家寿の駿河国[[w:浜松藩|浜松藩]]転封に伴い龍巌寺も浜松へ移っていった。翌 {{年号|1639}}、家乗の陵墓を護るために家乗夫人の命で龍巌寺跡の西隣に浄土宗の'''晴雲山[[隆崇院]]'''が建てられた (隆崇は家乗夫人の{{ruby|謚|おくりな}})。
  
浜松藩へ移った乗寿はさらに館林藩に転封された。乗寿の次男である乗政が信濃国[[w:小諸藩|小諸藩]]へ封され、そこに浄土宗の寺を建てたのが乗政寺の始まりである。
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家寿と入れ替わりで岩村に入領した丹羽氏信は龍巌寺の跡地に曹洞宗を入れ'''妙仙寺'''とした。以後妙仙寺は丹羽氏の菩提寺として {{年号|1646}} の氏信が没から氏定、氏純、氏明が葬られた。しかし[[元禄の山村騒動|お家騒動]]により氏音の代で高柳藩に転封された。また妙仙寺もこれに従い越後に移った。
  
岩村藩では[[元禄の山村騒動|お家騒動]]により丹羽氏信が減石、[[w:高柳藩|高柳藩]]に転封され代わりに乗政の子の乗紀が入った。乗政寺は乗紀によって岩村に移された。
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一方、乗寿の次男乗政は信濃国[[w:小諸藩|小諸藩]]へ封されると浄土宗の菩提寺乗政寺を建てた。乗政の子は氏音に代わって岩村に入領、妙仙寺の跡地に小諸から'''石松山乗政寺'''が移された。
  
* 松平家乗
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隆崇院は慶応年間 {{note|(1865-1868年/江戸後期)}} に現在の大通寺の場所に移された。また乗政寺も {{年号|1871}} の岩村藩廃止とともに廃され、その遺物は隆崇院が管理する所となった。現在の大名墓地はこれらの寺跡である。
* 丹羽氏信
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* 丹羽氏定
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* 丹羽氏純
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* 丹羽氏明
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== 関連項目 ==
 
== 関連項目 ==
 
* [[巖邑府誌/城府#乗政寺]]
 
* [[巖邑府誌/城府#乗政寺]]
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* [[岩村城主]]
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==参考文献==
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* <strong>日本歴史地名大系</strong>, <i>平凡社地方資料センター</i>, 1993年, 平凡社, ISBN 978-4040012100
  
 
[[Category:岩村|たいみようほち]]
 
[[Category:岩村|たいみようほち]]
 
[[Category:近世|たいみようほち]]
 
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2009年8月9日 (日) 05:44時点における版

大名墓地(だいみょうぼち)[MAP]は旧岩村高校の東の丘 (乗政寺山) の南麓にある古い墓地。江戸時代初期から中期までの岩村城主やその家族、家臣の墓が残っている。また下田歌子の墓もここに建てられている。

沿革

1601年 (慶長6年/安土桃山)、松平家乗が上野国那波藩から転封され乗政寺山に菩提寺久翁山龍巌寺を建立。1614年 (慶長19年/江戸初期) に家乗が没すると寺内の墓地に葬られ家督は家寿が継いだ。しかし 1638年 (寛永15年/江戸初期) 家寿の駿河国浜松藩転封に伴い龍巌寺も浜松へ移っていった。翌 1639年 (寛永16年/江戸初期)、家乗の陵墓を護るために家乗夫人の命で龍巌寺跡の西隣に浄土宗の晴雲山隆崇院が建てられた (隆崇は家乗夫人の(おくりな))。

家寿と入れ替わりで岩村に入領した丹羽氏信は龍巌寺の跡地に曹洞宗を入れ妙仙寺とした。以後妙仙寺は丹羽氏の菩提寺として 1646年 (正保3年/江戸初期) の氏信が没から氏定、氏純、氏明が葬られた。しかしお家騒動により氏音の代で高柳藩に転封された。また妙仙寺もこれに従い越後に移った。

一方、乗寿の次男乗政は信濃国小諸藩へ封されると浄土宗の菩提寺乗政寺を建てた。乗政の子は氏音に代わって岩村に入領、妙仙寺の跡地に小諸から石松山乗政寺が移された。

隆崇院は慶応年間 (1865-1868年/江戸後期) に現在の大通寺の場所に移された。また乗政寺も 1871年 (明治4年) の岩村藩廃止とともに廃され、その遺物は隆崇院が管理する所となった。現在の大名墓地はこれらの寺跡である。

関連項目

参考文献

  • 日本歴史地名大系, 平凡社地方資料センター, 1993年, 平凡社, ISBN 978-4040012100
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