乗政寺山墓地
提供:安岐郷誌
沿革
1601年 (慶長6年/安土桃山)、松平家乗が上野国那波藩から転封され乗政寺山に菩提寺久翁山龍巌寺を建立。1614年 (慶長19年/江戸初期) に家乗が没すると寺内の墓地に葬られ家督は乗寿が継いだ。しかし 1638年 (寛永15年/江戸初期) 家寿の駿河国浜松藩転封に伴い龍巌寺も浜松へ移っていった。翌 1639年 (寛永16年/江戸初期)、家乗の陵墓を護るために家乗夫人の命で龍巌寺跡の西隣に浄土宗の晴雲山隆崇院が建てられた (隆崇は家乗夫人の
家寿に代わって岩村に入領した丹羽氏信は龍巌寺の跡地に曹洞宗を入れ妙仙寺とした。以後妙仙寺は丹羽氏の菩提寺として 1646年 (正保3年/江戸初期) の氏信が没から氏定、氏純、氏明が葬られた。しかしお家騒動により氏音の代で丹羽氏は高柳藩に転封となった。また妙仙寺もこれに従い越後に移った。
一方、乗寿の次男乗政は信濃国小諸藩へ封されると浄土宗の菩提寺乗政寺を建てた。乗政の子乗紀は氏音に代わって岩村に入領、妙仙寺の跡地に小諸から石松山乗政寺が移された。
隆崇院は慶応年間 (1865-1868年/江戸後期) に現在の大通寺の場所に移された。また乗政寺も 1871年 (明治4年) の岩村藩廃止とともに廃され、その遺物は隆崇院が管理する所となった。現在の大名墓地はこれらの寺跡である。
関連項目
参考文献
- 日本歴史地名大系, 平凡社地方資料センター, 1993年, 平凡社, ISBN 978-4040012100