刀神の祠

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[[大野農免農道]]の脇に{{ruby|<strong>刀神様</strong>|かたながみさま}}と呼ばれている小さな祠がある。武田軍に立ち向かった武士が祀られているという。
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{{ruby|<strong>刀神様</strong>|かたながみさま}}は[[新杜]]から[[大野農免農道]]を200mほど進んだ道路脇に祀られている小さな祠。近年、農道脇の木々が伐採されたため目に触れやすくなった。
  
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昔々、この近くで神主をやっていた人が[[恵那神社]]より預かった刀を無くしてしまって以来不幸が続いたためにここに祠を祀ったものと伝えられている。今でも年に一度神主さんを呼んで{{ruby|祝詞|のりと}}を挙げてもらうのだが、この刀神様用の祝詞の中にそういった様な事が書かれていると云う{{要調査|杉浦さんに確認}}。
昔ここに岩村遠山氏に忠を尽くした武士が住んでいた。隠居の身ではあったが、遠山子城や[[龍泉寺]]などを落とした武田勝頼の軍勢が通ると聞き付け、義侠心で[[阿木城]]の精鋭と共に立ち向かい、刀折れ力尽きここに討ち死にした。これを哀れんだ村人達がせめてあの時に刀が保っていればと祀ったものだと云われている。
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現在でも小さな祠に刀の形をした木が何本も奉納されておりたまに献灯もされる。近隣の一軒で管理していると聞く。近年、農道脇の木々が伐採されたため目に触れやすくなった。
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地区の神様ではなくその子孫の方が一軒で管理しており現在でも毎日献灯を行っている。祠には刀の形をした木を何本もお供えされているが、誰かが新しい木を 2〜3 本置いていっているという。
 
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大野を開拓したと言われる土岐右衛門守 (飯狭右衛門?) かその子孫だろうか。[[新杜]]の開拓由来記によれば大野の開拓が始まったのが天文年間 {{note|(1532-1555年)}}、武田軍が阿木を蹂躙したのが天正2〜3年 {{note|(1574-1575年)}} で年代的に矛盾はない。
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== 風景 ==
 
== 風景 ==
 
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File:刀神の祠01.jpg|09/02/21 農道脇の木々が伐採されて明るくなった。
 
File:刀神の祠01.jpg|09/02/21 農道脇の木々が伐採されて明るくなった。
File:刀神の祠02.jpg|09/02/21 刀の形をした木が奉納されている。たまに燈籠に献灯されている。
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File:刀神の祠02.jpg|09/02/21 刀の形をした木が奉納されている。燈籠に献灯されている。
 
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== 参照 ==
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== 四方山話 ==
* [[二分団]]
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* 昭和前半までの頃は歯が痛い時に刀神様に刀を供えると治ると云われていた。尤も子供にとってはチャンバラ遊びの道具が置いてある場所だった。
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* [[岩村城の戦い]]で武田軍に立ち向かった隠居武士が祀られているとも聞く。[[土岐明神|土岐右衛門]]が大野の開拓を始めたのが天文年間 {{note|(1532-1555年)}}、武田軍が阿木を蹂躙したのが天正2〜3年 {{note|(1574-1575年)}} であるから、本人かその子孫であれば年代的に妥当ではある。
  
[[Category:名所旧跡|かたなかみのほこら]]
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[[Category:二分団|かたなかみのほこら]]
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[[Category:神社仏閣|かたなかみのほこら]]

2009年7月8日 (水) 18:34時点における最新版

名所旧跡
刀神の祠
刀神の祠
所在地岐阜県中津川市阿木字宮ノ外
位置N35:24:26.29, E137:29:14.60[MAP]

刀神様(かたながみさま)新杜から大野農免農道を200mほど進んだ道路脇に祀られている小さな祠。近年、農道脇の木々が伐採されたため目に触れやすくなった。

昔々、この近くで神主をやっていた人が恵那神社より預かった刀を無くしてしまって以来不幸が続いたためにここに祠を祀ったものと伝えられている。今でも年に一度神主さんを呼んで祝詞(のりと)を挙げてもらうのだが、この刀神様用の祝詞の中にそういった様な事が書かれていると云う[要調査]

地区の神様ではなくその子孫の方が一軒で管理しており現在でも毎日献灯を行っている。祠には刀の形をした木を何本もお供えされているが、誰かが新しい木を 2〜3 本置いていっているという。

[編集] 風景

[編集] 四方山話

  • 昭和前半までの頃は歯が痛い時に刀神様に刀を供えると治ると云われていた。尤も子供にとってはチャンバラ遊びの道具が置いてある場所だった。
  • 岩村城の戦いで武田軍に立ち向かった隠居武士が祀られているとも聞く。土岐右衛門が大野の開拓を始めたのが天文年間 (1532-1555年)、武田軍が阿木を蹂躙したのが天正2〜3年 (1574-1575年) であるから、本人かその子孫であれば年代的に妥当ではある。
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