利用者:Torao/ノート/あぎ 昭和57年度
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安岐座は常設の芝居小屋ではない。村人はふつう舞台と呼び、若い人は、公会堂といっている。 | 安岐座は常設の芝居小屋ではない。村人はふつう舞台と呼び、若い人は、公会堂といっている。 | ||
2010年1月24日 (日) 00:14時点における版
阿木公民館冊子 「あぎ」昭和57年度版 (阿木公会堂特集) よりテキスト起こし作業。
目次 |
劇場の年表
- 見沢の舞台、安岐座、公会堂、大野舞台、広岡舞台、飯沼舞台
寛政六年 (一七九四年) | 見沢森で祭礼の高揚始まり |
---|---|
文政年間 | 大野舞台できる |
安政六年 (一八五九年) | 安岐座建築 |
文久元年 (一八六一年) | |
明治七~八年 | 大野舞台を移築、広岡舞台できる |
明治十年 | 屋根修理 |
大正三年 | 公会堂大改造 |
大正七年 | 電気が灯る |
大正年間に広岡舞台は売り払われる | |
昭和八年 | 明知線開通祝賀歌舞 |
昭和二十年 | 軍需工場となる |
昭和四十七年 | 貸倉庫となる |
昭和五十七年 | 取り壊し |
間違い、不明のことが多々あると思いますので、ってみえる方は、教えて下さい。
座の変遷と地芝居
はじめに
安岐座は常設の芝居小屋ではない。村人はふつう舞台と呼び、若い人は、公会堂といっている。
無用の長物となって処置に困り、貸倉庫となり、今では取り毀しになってしまいましたが、かつては近隣町村にない立派な建物ということで、村人の自慢の種であった。
以前老人から「犬山の明治村へでも寄贈すればいいのに」と口の端にのる位である。阿木の三十代より上の人にとっては、この舞台で演じられた芝居や、その他の催物にまつわる想い出も多く、四十代・五十代・六十代と年代が上になる程、想い出は濃密になり、愛着も深いのである。
建物は、修繕・増改築等を繰返され、時代によって使われ方も異なり、その変遷をみることは、庶民の側からの歴史ともなり興味深いのでがある。
建築にまつわること
始め見沢の八幡神社東隣りに掛舞台があり、祭礼の時にここで、芝居や寄席などの催物が行われたが、新しい舞台を作りたいという村人の強い願いから、保育園建設場所に安政六年に大工仕事にかかり、同七年三月二十七日棟上げになったものである。(安政七年は万延元年・西暦一八六〇年)
はじめは、寺領組外十三組で建てたものである。組名を列記すると、寺領・藤上・野内・見沢・宮田・野田・青野・八屋砥・久須田・黒田・田中・山野田・真原・大根木の十四組である。飯沼村・広岡新田村にはおのおのの舞台が別にあったもので、飯沼・広岡が加入するのは、昭和二十一年頃とずっと後になる。