四十八夜供養塔

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川上地域でも[[阿木川上]]に残っているが、尾張藩領だった地区には全く残っていない事から、東濃南部の岩村藩領で広まったものと考えられている。
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川上地域でも[[阿木川上]]に残っているが、尾張藩領だった地区には全く残っていない事から、東濃南部の岩村藩領で広まったものと考えられる。
  
 
== 阿木の供養塔 ==
 
== 阿木の供養塔 ==

2009年6月11日 (木) 09:07時点における版

四十八夜供養塔(しじゅうはちやくようとう)は阿木に多く残る主に江戸時代の石塔。阿弥陀仏の四十八願にちなんで48日間念仏を唱える法会(ほうえ)四十八夜講(しじゅうはちやこう)と呼び、その念仏塔として建てられたものである。

川上地域でも阿木川上に残っているが、尾張藩領だった地区には全く残っていない事から、東濃南部の岩村藩領で広まったものと考えられる。

阿木の供養塔

  • 四十八夜念仏供養塔としては、飯沼の子安観音堂の裏にある 1689年 (元禄2年/江戸初期) の「南無阿弥陀仏四十八夜念仏大供養」の石塔が最も古い。
  • 真原の燈籠場に 1711年 (正徳元年/江戸中期) の四十八夜供養塔が建っている。
  • 阿木川上の観音堂境内に 1744年 (延享元年/江戸中期) の供養塔の銘文は「川上村中木曾領三人」とあり、川上の里人三人が念仏供養に参加したことが分かる。
  • 久須田薬師堂に四十八夜云々と刻まれた石仏が安置されている。
  • 藤上地区から18世紀半ばから19世紀始めにかけての「四十八夜」を冠した供養塔が土中から26基見付かったというが所在地不明[要調査]

参照

参考文献

  • 日本歴史地名大系第二一巻 岐阜の地名, 所三男, 1993年(平成5年), 平凡社, ISBN 978-4582490213
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