土岐明神

提供:安岐郷誌
(版間での差分)
移動: 案内, 検索
(右衛門平)
6行: 6行:
 
|祭神=土岐霊神 (祖霊神)
 
|祭神=土岐霊神 (祖霊神)
 
}}
 
}}
{{ruby|'''土岐明神'''|ときみょうじん}}は右衛門平の山の中に建てられている神社。この地に定住し大野を開拓した{{ruby|<strong>右衛門佐</strong>|うえもんのすけ}}という人物を祀った神社である。
+
{{ruby|'''土岐明神'''|ときみょうじん}}は右衛門平の山の中に建てられている神社。この地に定住し大野を開拓したと伝わる{{ruby|<strong>右衛門佐</strong>|うえもんのすけ}}を祀った神社である。
  
 
== 伝承 ==
 
== 伝承 ==
右衛門佐とは官職名であるため、これがどういった人物なのかはっきりしていない。伝承や遺存地名などから土岐氏族の右衛門佐と言われているが、飯羽間城に居た遠山氏族の右衛門佐が武田・織田の追跡を逃れてここに隠れ住んだとも言われている ([[巖邑府誌/安岐|巖邑府誌]]参照)。後者の場合、身を隠すために土岐氏を名乗ったか、右衛門佐としか明かさなかったのを後世の者が土岐氏としたと言われている。
+
右衛門佐とは官職名であるため、これがどういった人物なのかはっきりしていない。伝承や遺存地名などから土岐氏族の右衛門佐と言われているが、飯羽間城に居た遠山氏族の右衛門佐が武田・織田の追跡を逃れてここに隠れ住んだとも言われている ([[巖邑府誌/安岐|巖邑府誌]]参照)。後者の説の場合、身を隠すために土岐氏を名乗ったか、右衛門佐としか明かさなかったのを後世の者が土岐氏としたと言われている。
  
 
この右衛門佐に関連する遺存地名は以下の小字となって残っている。
 
この右衛門佐に関連する遺存地名は以下の小字となって残っている。
49行: 49行:
 
== 関連項目 ==
 
== 関連項目 ==
 
* [[開拓者慰霊碑]]
 
* [[開拓者慰霊碑]]
 +
* [[巖邑府誌/安岐|巖邑府誌]]
  
 
[[Category:二分団|ときみようしん]]
 
[[Category:二分団|ときみようしん]]
 
[[Category:神社仏閣|ときみしょうしん]]
 
[[Category:神社仏閣|ときみしょうしん]]

2009年6月26日 (金) 03:03時点における版

神社仏閣
土岐明神
土岐明神
所在地岐阜県中津川市阿木字右衛門平
位置N35:24:54.57, E137:29:59.30[MAP]
祭神土岐霊神 (祖霊神)

土岐明神(ときみょうじん)は右衛門平の山の中に建てられている神社。この地に定住し大野を開拓したと伝わる右衛門佐(うえもんのすけ)を祀った神社である。

目次

伝承

右衛門佐とは官職名であるため、これがどういった人物なのかはっきりしていない。伝承や遺存地名などから土岐氏族の右衛門佐と言われているが、飯羽間城に居た遠山氏族の右衛門佐が武田・織田の追跡を逃れてここに隠れ住んだとも言われている (巖邑府誌参照)。後者の説の場合、身を隠すために土岐氏を名乗ったか、右衛門佐としか明かさなかったのを後世の者が土岐氏としたと言われている。

この右衛門佐に関連する遺存地名は以下の小字となって残っている。

  • 右衛門平(うえもんだいら) ─ 右衛門佐が移り住んだ。
  • 牧野(まきの) ─ 右衛門佐が馬を飼っていた。
  • 母衣ヶ田(ほろがた) ─ 逃げる途中で母衣 (又は衣) を脱ぎ捨てた場所。
  • 土岐ヶ峰(ときがみね) ─ 右衛門平の上の峰。

馬頭観音

神社下の国道363号沿いには馬頭観音を祀った塚が建てられている。この塚は右衛門左の馬を祀ったものとも言われているが詳細は不明。

右衛門平

右衛門平(うえもんだいら)は部落としては阿木の中で最も高い位置にある。

関連項目

個人用ツール
名前空間

変種
操作
案内
Sponsored Link
ツールボックス
Sponsored Link