土岐明神
提供:安岐郷誌
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− | * 右衛門佐に親孝行の気持ちが強い娘がいた。剣劇の{{ruby|阿軽|おかる}}のようだったのでその墓をお軽ヶ塚と言い、今でも残っているという<ref name="阿木史略">阿木史略 (阿木歴史教室資料), <i>鈴木順一</i>, 平成13年</ref>。 | + | * 右衛門佐に親孝行の気持ちが強い娘がいた。剣劇の{{ruby|阿軽|おかる}}のようだったのでその墓をお軽ヶ塚と言い、今でも残っているという{{要調査}}<ref name="阿木史略">阿木史略 (阿木歴史教室資料), <i>鈴木順一</i>, 平成13年</ref>。 |
− | * この辺りに古い塚があって鎧や刀、土器、矢鏑などが出る事があるという<ref name="阿木史略"/> | + | * この辺りに古い塚があって鎧や刀、土器、矢鏑などが出る事があるという{{要調査}}。砦のようなものがあったのかも知れない<ref name="阿木史略"/>。 |
− | * 何処かの土地に大きな石の室が埋められており、それに触ると死んでしまうという。ある者が掘って鍬の先が触れたので死んでしまった。それ以来誰も掘ろうとするものが居ないという<ref name="阿木史略"/> | + | * 何処かの土地に大きな石の室が埋められており、それに触ると死んでしまうという。ある者が掘って鍬の先が触れたので死んでしまった。それ以来誰も掘ろうとするものが居ないという<ref name="阿木史略"/>。まるで隠した宝を守るために創作したかのような伝説である。 |
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2009年6月26日 (金) 03:20時点における版
神社仏閣 | |
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土岐明神 土岐明神 | |
所在地 | 岐阜県中津川市阿木字右衛門平 |
位置 | N35:24:54.57, E137:29:59.30 |
祭神 | 土岐霊神 (祖霊神) |
目次 |
伝承
右衛門佐とは官職名であるため、これがどういった人物なのかはっきりしていない。伝承や遺存地名などから土岐氏族の右衛門佐と言われているが、飯羽間城に居た遠山氏族の右衛門佐が武田・織田の追跡を逃れてここに隠れ住んだとも言われている (巖邑府誌参照)。後者の説の場合、身を隠すために土岐氏を名乗ったか、右衛門佐としか明かさなかったのを後世の者が土岐氏としたと言われている。
この右衛門佐に関連する遺存地名は以下の小字となって残っている。
-
右衛門平 ─ 右衛門佐が移り住んだ。 -
牧野 ─ 右衛門佐が馬を飼っていた。 -
母衣ヶ田 ─ 逃げる途中で母衣 (又は衣) を脱ぎ捨てた場所。 -
土岐ヶ峰 ─ 右衛門平の上の峰。
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09/06/15 水路に沿って山には入る。
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09/06/15 杉林の中に鳥居が立っている。
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09/06/15 杉に囲まれて社が建っている。
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09/06/15 昭和十七年十一月之建
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09/06/15 古い石垣と燈籠が建てられている。
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09/06/15 社から見た参道。
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09/06/15 古い石段。
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09/06/15 安政六未年十月吉(?)日。
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09/06/15 氏子 ──。
馬頭観音
神社下の国道363号沿いには馬頭観音を祀った塚が建てられている。この塚は右衛門左の馬を祀ったものとも言われているが詳細は不明。
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09/06/15 国道沿いの馬頭観音の塚。
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09/06/15 松の木の下に馬頭観音が置かれている。
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09/06/15 判読不能。
右衛門平
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09/06/15 国道から田んぼの向こうに見える峰は土岐ヶ峰と呼ばれてる。
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09/06/15 上から。遠くに笠置山が見える。
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09/06/15 山際に簡易水道施設が建てられている。
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09/06/15 遠くに見えるのは山岡?
四方山話
- 右衛門佐に親孝行の気持ちが強い娘がいた。剣劇の
阿軽 のようだったのでその墓をお軽ヶ塚と言い、今でも残っているという[要調査][1]。 - この辺りに古い塚があって鎧や刀、土器、矢鏑などが出る事があるという[要調査]。砦のようなものがあったのかも知れない[1]。
- 何処かの土地に大きな石の室が埋められており、それに触ると死んでしまうという。ある者が掘って鍬の先が触れたので死んでしまった。それ以来誰も掘ろうとするものが居ないという[1]。まるで隠した宝を守るために創作したかのような伝説である。