天保の丹羽瀬騒動

提供:安岐郷誌
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天保の丹羽瀬騒動(てんぽうのにわせそうどう)は岩村藩文政の改革の顛末となるお家騒動。

改革の顛末

文政の改革によって岩村藩の財政もそれなりに回復していったが、程なくして天保の大飢饉 (1833年/天保4年)、翌天保5年の江戸藩邸の類焼、さらに天保7年の大凶作などに見舞われた。またこれに伴う不景気で陶器や木綿、絹織物などが全く売れなくなり財政改革は停滞した。

加えて折からの保守派閥からの反発や、領民の不満、減俸された家臣の不満が募り、1837年 (天保8年/江戸後期) に藩内52村連名で嘆願書が出されて丹羽瀬清左衛門は失脚する次第となった。丹羽瀬は蟄居の身となりこれで岩村藩の文政の改革も終了した。

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