安岐郷

提供:安岐郷誌
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安岐郷(あぎごう)は平安時代中期に編纂された和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)に記されている美濃国恵奈郡六郷の一つ。現在の阿木岩村町付近が郷域と考えられる (山岡町の一部まで含む説もある)。現在の阿木という名はこの安岐郷の遺存地名である。

また和名類聚抄と同時期の美濃国神名帳 (938-956年/天慶-天徳) にも恵奈郡従四位上阿気明神という名前が記されている。

阿木公民館の場所から平安初期の猿投灰釉水瓶が出土した事を考えても、和名抄が書かれた頃には寺領・本庄付近が安岐郷の中心であり、また遠山荘の一郷として都へ貢納するための庄屋の様なものがあった思われる。

目次

文献

惠那神社誌

惠那神社誌[1]

今の阿木村其本土にして、(第二編第三章血洗池條参照) 其の區域は本郷村、岩村、遠山村、串原村、近傍まで及ぼせしか、其安岐の本土たる、阿木村廣岡の内大野、廣岡も元は大野と稱したりしが、其の大野の地域は、今の阿木村全體に渡りしならん、後漸次小組に名稱を附して夫々分立したり、飯沼村野の分村も、巖邑府誌に載する如し、(血洗池の條参照) 元は大野の内なりき、然して最後に大野の本區に舊來の大野の名稱を附し、本區を廣阜、(後廣岡に改む) と改稱したり、故に名稱は變りたれど、元より土地の本土は廣岡なり、近世大野と飯沼と合併して飯沼村と稱し、廣岡は其以前に分裂したる數村を合わせて阿木村と稱し、現今又阿木村飯沼村二村も合併し、阿木村とす。此の郷にある八幡神社は、元惠那神社の遙拜所なりしが、元龜二年霖雨連日に亘り、山岳崩壊して土石を押し流したるとき此の遙拜所も流失したりしが、其後寛永元年に至りて再建し、改めて譽牟田別命を祀り八幡社と稱するに至れり、故に廣岡大野の青年の惠那神社に出勤せざる前は、祭典執行せざりし舊慣ありしと、今尚古老の言ひ傳ふるを以ても、往古惠那神社の氏子たりしこと明白なりとす、又廣岡川に架する橋は、元惠那神社に於て架設せし故、今も川上橋と稱し居れり。

〔大日本史〕
 安岐今阿木村在淡氣東北文治中曰遠山莊東鑑有岩村城

恵那郡誌

恵那郡誌[2]

安岐(あぎ) 今の阿木村は其の本土にして、本郷村・岩村町等阿木川上流一帯の地に及ぼしたのであらう。美濃國神名帳に從四位下阿氣明神があり、當郷の鎮守である。今舊大野の本區廣岡の八幡社の地が是である。
  1. ^ 恵那神社誌, 梅村馨, 明治45年発行, 平成20年復刻
  2. ^ 恵那郡誌, 恵那郡教育会, 大正15年発行, 昭和48年復刻

四方山話

参照

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