宮ノ根

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2009年6月3日 (水) 20:30時点における版

宮ノ根(みやのね)は旧岩村街道・旧県道407号沿いの飯沼の中心地。神明神社お子安さんなどがある。神明橋から飯沼川沿いに飯沼駅までつながる道が旧県道407号、お子安さんの左を抜けて大野農免道に出る道は旧岩村街道である。


目次

風景

宮ノ根の整田碑

鳥居の左側に整田碑が建てられている。1978年から1985年 (昭和53-60年) に行われた整田事業のものである。7億8950万円のうち 30% が地元負担と記されているが 2 億円以上も飯沼住民の負担となったのだろうか。

宮ノ根 整田碑
整田碑 衆議院議員 古屋享

先祖代々受け継いできた当地区の耕地は過去飯沼川、後田川の大氾濫により度々の災害を受け必死に復旧に努めながら地域に分散する狭小な農地を耕作しその不便を極め今日に至った。昭和49年に飯沼地区を縦貫する阿木農免道路の建設を機に此の地区にも圃場整備を含む総合的な土地改良事業を行い農地の集団化を図るよう地域住民より強い要望があり 事業実施の運びとなった。このようにして時代の要請により近代的農業基盤を確立するため国・県・市の援助を受け地域住民の総意が集結し一致団結あらゆる難事を克服こゝに 飯沼圃場整備事業が完成した。豊かなるふるさと作りの基盤となったこの大事業を記念し ゆかりの地神明、子安の森境内に竣工記念碑を建立し併せて事業関係者の献身的努力を 後世に伝えるものである。

昭和61年11月吉日
中津川市飯沼土地改良組合

事業概要 1. 事業名 団体営圃場整備事業 1. 事業主体 中津川市 1. 事業年度 昭和53年度着工 昭和60年度完成 1. 事業量 区画整理 従前面積 87.2ha 換地面積 77.0ha 道路工 13,338m 排水路工 12,512m 用水路工 18,849m 暗渠排水 18.9ha 1. 事業費 7億8千9百5拾萬圓 1. 負担割合 国補助金 45% 県補助金 15% 市補助金 10% 地元負担金 30% 地元負担金の内道路・水道負担金分を飯沼区より援助

資料撮影 09/02/21 [1][2]

可知貫一翁顕彰碑

可知貫一翁顕彰碑(けんしょうひ)は子安堂の詰め所の左に建てられている石碑。

可知貫一(かちかんいち) (1885-1956年) は鞍坪の橋[MAP]の近くの家に生まれ旧東京帝国大学農科大学農学科を卒業し巨椋池(おぐらいけ)八郎潟(はちろうがた)などの国家的干拓事業を行った農業水利学博士。阿木の周辺地域でも灌漑事業として 1924年 (大正13年)保古の湖を作っている。

宮ノ根 可知貫一翁顕彰碑01.jpg
可知貫一翁顕彰碑

可知寛一翁は明治十八年一月旧阿木村飯沼父与一母あさの長男に生れ岐中六高を経て東大に学ひ農業土木を専攻して農學博士号を授与さる。又農商務省技師として巨椋池八郎潟等の干拓を主宰幾多国家的事業指導其他近郷の貯水開拓にも尽瘁さる。又東大京大に教鞭をとし後進を育成され汎大平洋會議の日本代表として出席されるなど多大の業績を遺され 功により正三位勲三等に叙せられた。

昭和三十一年四月九日自宅に於て七十一才の天寿を全うされた先生は資性謹厳私心なく接する人をして思はず襟を正さしむる崇高な人格者であった。郷党は先生の遺徳を偲び茲に碑を立て後世に傳へるのである。

昭和四十五年五月吉日 発起人 中津川市阿木地区老人倶楽部 連合會代表
吉村 義? 西尾 源?

資料撮影 09/02/21 [1][2]

蠶靈

蠶靈の石碑

蠶靈(こだま) (蚕霊) とは蚕の神様。蚕神、蚕影、蚕玉、絹笠(衣笠) などと同じく豊蚕祈願の対象である。

日本の養蚕(ようさん)は弥生時代に中国から伝来した。しかし本格的に行われるようになったのは幕末近くの江戸時代後期からである。日本の生糸は非常に評判が高く、島崎藤村の「夜明け前」でも外国の商船に高値で売れている様子が描かれている。しかし雹で桑の葉が全滅したり病気が流行ったりと農作と同様に天候に大きく左右されることから、養蚕の隆盛と共に全国で蚕神が祀られるようになった。

岩村藩内では江戸時代の後期に地場産業の発展をめざして周辺地域に養蚕を推奨している (文政の岩村改革)。養蚕は農家にとっても貴重な現金収入源であったため阿木や飯沼でも広まっていった。この石碑は豊蚕の祈願と蚕の供養のため祀られたものであろう。

しかし日本の輸出産業の花形であった生糸の価格も第一次大戦後の大正初期の不況を機に暴落。阿木や飯沼では昭和30年代までよく見られた養蚕も次第に衰退し、平成に入る頃にはほとんど見られなくなった[要調査]

参照

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