岩村藩主

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(大給松平氏)
(大給松平氏)
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2009年8月13日 (木) 16:47時点における版

目次

岩村遠山氏

遠山景朝(とおやまかげとも)

遠山景重(とおやまかげしげ)

遠山景長(とおやまかげなが)

遠山朝兼(とおやまともかど)

遠山景忠(とおやまかげただ)

遠山頼景(とおやまよりかげ)

遠山景基(とおやまかげもと)

遠山景次(とおやまかげつぐ)

遠山景勝(とおやまかげかつ)

遠山景廣(とおやまかげひろ)

遠山頼景(とおやまよりかげ)

遠山景友(とおやまかげとも)

遠山景前(とおやまかげさき)

遠山左衛門尉

16世紀前半の人。天文年間 (1532-1554/戦国) に遠山氏の菩提寺である大円寺に臨済宗妙心寺派の高僧明叔・希菴を招く。1547年 (天文16年/戦国)岩村八幡神社の社頭を一宇造営。1556年 (弘治2年/戦国) 没の位牌あり。

奉造立八幡宮社頭一宇 遷宮師 法師 良辯
 大檀主遠山左衛門尉景前 敬白
 天門十六年丁未霜月十日 棟梁大工 熱田宮住人粟田源四郎守次 三郎右衛門宗教

○法名
景前院殿前左金吾前宗護大禪定門 神儀
 弘治二年丙辰七月十三日

三河後風土記では 1501年 (文亀元年/戦国)松平長親北条早雲の合戦で松平方の軍として参加したと書かれているが、没年の55年も前であるため書き記した者の間違いである。これについて遠山来由記ではその時代の頼景と間違えたと推測し、巖邑府誌では享禄・天文の松平清康の宇利城攻めに景前が三河方で参戦したのを間違えたと推測している。

遠山景任(とおやまかげとき)

戦国期

御坊丸

秋山信友(あきやまのぶとも)

河尻秀隆(かわじりひでたか)

鎮吉(ちんきち)

団忠正(だんただまさ)

森長可(もりながよし)

森忠政(もりただまさ)

各務元正(かがみもとまさ)が管理。

田丸直昌(たまるなおまさ)

具安(ともやす)

大給松平氏

松平家乗(まつだいらいえのり)

源次郎, 従五位下, 和泉守, 大聖院殿乗誉道見大居士

大給松平家の初代宗主。1601年 (慶長6年/安土桃山) 正月に上野国那波藩一万石より美濃国岩村藩二万石に転封。乗政寺山に菩提寺久翁山龍巌寺を建立。1614年 (慶長19年/江戸初期) 2月29日享年40で没。大名墓地に墓標あり。

松平乗寿(まつだいらのりなが)

源二郎, 従五位下, 和泉守, 源高院深誉道徹

1600年 (慶長5年/安土桃山) 2月26日、家乗の長男として生まれる。1614年 (慶長19年/江戸初期) 2月29日、家乗の死により齢15にして家督を継ぐ。同年10月大坂冬の陣で美濃勢を率いて枚方に布陣、翌年5月大坂夏の陣でも美濃・信濃勢を率いて枚方から森口に進軍する。この功により 1638年 (寛永15年/江戸初期) 美濃国岩村藩二万石から遠江国浜松藩三万六千石へ転封。同時に龍巌寺を浜松に移す。1639年 (寛永16年/江戸初期) 岩村に残した家乗の墓を守るため隆崇院を開基する。

1644年 (正保元年/江戸初期) 上野国館林藩六万石へ転封。1651年 (慶安4年/江戸初期) 老中となる。1654年 (承応3年/江戸初期) 享年55で没。

丹羽氏

丹羽氏信(にわうじのぶ)

慈明院殿可山道印大居士

大名墓地に墓標あり。

丹羽氏定(にわうじさだ)

興昌院殿桃雲宗萼大居士

大名墓地に墓標あり。

丹羽氏純(にわうじずみ)

直指院殿性山義見大居士

大名墓地に墓標あり。

丹羽氏明(にわうじあき)

性覚院殿長門權刺史徳雲道海大居士

大名墓地に墓標あり。

丹羽氏音(にわうじおと)

元禄の山村騒動の責任を問われ越後高柳一万石に転封された。

大給松平氏(分派)

松平乗紀(まつだいらのりただ)

龍玄院雲巌悟心

松平乗賢(まつだいらのりかた)

慈仙公

松平乗薀(まつだいらのりもり)

松平乗保(まつだいらのりやす)

松平乗美(まつだいらのりよし)

松平乗喬(まつだいらのりたか)

松平乗命(まつだいらのりとし)

関連項目

個人用ツール
名前空間

変種
操作
案内
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