岩村藩主
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− | [[大名墓地]]に墓標あり。 | + | [[w:丹羽氏次|丹羽氏次]]の次男。{{年号|1638}} [[w:三河国|三河国]][[w:伊保藩|伊保藩]]一万石から岩村藩二万石に転封。龍巌寺の跡地に曹洞宗妙仙寺を開基。{{年号|1646}} 5月11日享年57で没。[[大名墓地]]に墓標あり。 |
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+ | 氏明の養子。 | ||
[[元禄の山村騒動]]の責任を問われ越後高柳一万石に転封された。 | [[元禄の山村騒動]]の責任を問われ越後高柳一万石に転封された。 | ||
2009年8月13日 (木) 16:58時点における版
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岩村遠山氏
遠山景朝
遠山景重
遠山景長
遠山朝兼
遠山景忠
遠山頼景
遠山景基
遠山景次
遠山景勝
遠山景廣
遠山頼景
遠山景友
遠山景前
- 遠山左衛門尉
16世紀前半の人。天文年間 (1532-1554/戦国) に遠山氏の菩提寺である大円寺に臨済宗妙心寺派の高僧明叔・希菴を招く。1547年 (天文16年/戦国) に岩村八幡神社の社頭を一宇造営。1556年 (弘治2年/戦国) 没の位牌あり。
奉造立八幡宮社頭一宇 遷宮師 法師 良辯
大檀主遠山左衛門尉景前 敬白
天門十六年丁未霜月十日 棟梁大工 熱田宮住人粟田源四郎守次 三郎右衛門宗教
○法名
景前院殿前左金吾前宗護大禪定門 神儀
弘治二年丙辰七月十三日
三河後風土記では 1501年 (文亀元年/戦国) の松平長親と北条早雲の合戦で松平方の軍として参加したと書かれているが、没年の55年も前であるため書き記した者の間違いである。これについて遠山来由記ではその時代の頼景と間違えたと推測し、巖邑府誌では享禄・天文の松平清康の宇利城攻めに景前が三河方で参戦したのを間違えたと推測している。
遠山景任
戦国期
御坊丸
秋山信友
河尻秀隆
鎮吉
団忠正
森長可
森忠政
田丸直昌
具安
大給松平氏
松平家乗
- 源次郎, 従五位下, 和泉守, 大聖院殿乗誉道見大居士
大給松平家の初代宗主。1601年 (慶長6年/安土桃山) 正月に上野国那波藩一万石より美濃国岩村藩二万石に転封。乗政寺山に菩提寺久翁山龍巌寺を建立。1614年 (慶長19年/江戸初期) 2月29日享年40で没。大名墓地に墓標あり。
松平乗寿
- 源二郎, 従五位下, 和泉守, 源高院深誉道徹
1600年 (慶長5年/安土桃山) 2月26日、家乗の長男として生まれる。1614年 (慶長19年/江戸初期) 2月29日、家乗の死により齢15にして家督を継ぐ。同年10月大坂冬の陣で美濃勢を率いて枚方に布陣、翌年5月大坂夏の陣でも美濃・信濃勢を率いて枚方から森口に進軍する。この功により 1638年 (寛永15年/江戸初期) 美濃国岩村藩二万石から遠江国浜松藩三万六千石へ転封。同時に龍巌寺を浜松に移す。1639年 (寛永16年/江戸初期) 岩村に残した家乗の墓を守るため隆崇院を開基する。
1644年 (正保元年/江戸初期) 上野国館林藩六万石へ転封。1651年 (慶安4年/江戸初期) 老中となる。1654年 (承応3年/江戸初期) 享年55で没。
丹羽氏
丹羽氏信
- 勘助, 氏重, 従五位下, 式部少輔, 慈明院殿可山道印大居士
丹羽氏次の次男。1638年 (寛永15年/江戸初期) 三河国伊保藩一万石から岩村藩二万石に転封。龍巌寺の跡地に曹洞宗妙仙寺を開基。1646年 (正保3年/江戸初期) 5月11日享年57で没。大名墓地に墓標あり。
塞之神神社の堂、龍泉寺跡地に観音堂を建立。妙仙寺属で禅林寺開基。
丹羽氏定
- 勘助, 式部少輔, 興昌院殿桃雲宗萼大居士
大名墓地に墓標あり。
丹羽氏純
- 勘助, 式部少輔, 直指院殿性山義見大居士
大名墓地に墓標あり。
丹羽氏明
- 勘助, 長門守, 性覚院殿長門權刺史徳雲道海大居士
大名墓地に墓標あり。
丹羽氏音
- 勘助, 越中守, 壱岐守, 和泉守
氏明の養子。 元禄の山村騒動の責任を問われ越後高柳一万石に転封された。
大給松平氏(分派)
松平乗紀
- 龍玄院雲巌悟心
松平乗賢
- 慈仙公