広済院
提供:安岐郷誌
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2009年8月29日 (土) 08:14時点における最新版
815年 (弘仁6年/平安) に比叡山延暦寺の開祖である
広済院のあった場所ははっきり分かっておらず、霧ヶ原、吉田兼好庵跡、細野薬師堂、強清水など諸説ある。比叡山開宗1150年にあたる 1958年 (昭和33年)、峠を挟んで長野側の広拯院と同程度の距離であることや医者屋敷という地名が残っていることなどから霧ヶ原を暫定比定地とし、延暦寺によって伝教大師広済院顕彰碑が建てられた (場所が不定であるため遺跡ではなく顕彰碑とした)。また 1978年 (昭和53年) には老人ホーム延暦寺広済寮が建てられた。
1968-1986年 (昭和43-61年) の遺跡調査で東山道を推測すると、駒場(坂本駅)-落合五郎-新茶屋-コウモリ岩-山畑-細野-川並-冷川右岸-ケヤキ平-神坂峠と繋がっていたと考える説が有力となっている。