広済院
提供:安岐郷誌
(版間での差分)
(ページの作成: 一乗寺蔵最澄図(国宝) {{ruby|'''広済院'''|こうさいいん}}のあった場所ははっきり分か...) |
2009年8月22日 (土) 01:31時点における版
1968-1986年 (昭和43-61年) の遺跡調査で東山道を推測すると、駒場(坂本駅)-落合五郎-新茶屋-コウモリ岩-山畑-細野-川並-冷川右岸-ケヤキ平-神坂峠と繋がっていたと考える説が有力となっており、霧ヶ原の可能性は薄くなった。