広済院

提供:安岐郷誌
移動: 案内, 検索

広済院(こうさいいん)は比叡山延暦寺の開祖である最澄によって平安時代初期に建てられた神坂峠布施屋

815年 (弘仁6年/平安) に比叡山延暦寺の開祖である伝教大師(でんぎょうたいし) (最澄) が東方巡化で東山道を通った折、神坂峠のあまりの険しさに驚き、旅人を救うために美濃側に広済院、信濃側に広拯院という布施屋 (お救い小屋) を建てたと叡山大師伝に記されている。

広済院のあった場所ははっきり分かっておらず、霧ヶ原、吉田兼好庵跡、細野薬師堂、強清水など諸説ある。比叡山開宗1150年にあたる 1958年 (昭和33年)、峠を挟んで長野側の広拯院と同程度の距離であることや医者屋敷という地名が残っていることなどから霧ヶ原を暫定比定地とし、延暦寺によって伝教大師広済院顕彰碑[MAP]が建てられた (場所が不定であるため遺跡ではなく顕彰碑とした)。また 1978年 (昭和53年) には老人ホーム延暦寺広済寮[MAP]が建てられた。

1968-1986年 (昭和43-61年) の遺跡調査で東山道を推測すると、駒場(坂本駅)-落合五郎-新茶屋-コウモリ岩-山畑-細野-川並-冷川右岸-ケヤキ平-神坂峠と繋がっていたと考える説が有力となっている。

関連項目

外部リンク

個人用ツール
名前空間

変種
操作
案内
Sponsored Link
ツールボックス
Sponsored Link