瑞浪層群

提供:安岐郷誌
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瑞浪層群(みずなみそうぐん)とは第三紀中新世 (2,300-500万年前) 東濃地域で形成された粘土性の堆積岩。阿木ではサバと呼ばれ化石を含む軟岩としてよく知られている。

目次

瑞浪層群の形成

岩村盆地の瑞浪層群の地層

瑞浪層群は凝灰質の砂岩泥岩 (シルト岩) で構成された厚さ数十〜数百m の堆積層である。可児から岩村にかけて広く分布している。地殻変動などの外的影響をほとんど受けなかった事から中新世の化石が多く出土する堆積層として知られている。

阿木では八屋砥、野田から飯沼、藤上にかけての地表で瑞浪層群が見られる。

阿木・岩村地域の瑞浪層群は堆積時期や特徴から阿木塁層と遠山塁層に分類されている。

阿木塁層

約 2000 万年前、新第三紀の中新世に入ると地盤の沈降運動によって東濃地方には可児、瑞浪、岩村を中心とした 3 つの淡水湖が現れた[1]

新第三紀中新世の淡水湖

基盤岩でできた武並山や駄知は湖面から顔を出し、現在の阿木川の位置には既にこの頃から川が流れていたと言われている。この淡水湖に堆積した砂や泥は阿木塁層(あぎるいそう)と呼ばれる堆積層を形成した。

阿木塁層は淡水性の堆積岩である。この層からは当時の気候を示す植物の良質な化石が発掘されている。特に淡水湖が出来た時に湖底に沈んだ樹木が亜炭となって出土する。

遠山塁層

淡水湖は約 1800 万年前に陸に戻るが再び湖となり、今度は北上してきた海と繋がった。当初阿木は淡水と海水の混じり合う汽水域でオキシジミやビカリアなどの貝類が生息していたが、海面上昇などの影響で時が経つにつれ数百メートルの海底となった。

この堆積層は遠山塁層(とおやまるいそう)と呼ばれ、海性の砂岩や貝類の化石が多く出土する。また後に八屋砥鍾乳洞となる石灰岩が堆積したのもこの時代である。

サバ

阿木ではこの堆積岩をサバと呼び、化石を多く含む軟岩としてよく知られている。サバという呼び名の発生や由来は定かではないが、砂岩(さがん)が方言的に変化したのではないだろうか。

サバは乾燥粘土やチョーク、クレヨンのように柔らかくナイフなどで削り出して容易に形を整える事ができる。また水に付けながらコンクリートやアスファルトなどに擦りつけて整形する方法をサバ擦りという。サバ擦りは刃物などを必要としないことから阿木では保育園から小学校低学年の彫刻遊びとしてよく行われている(砂岩の幼児語とも考えられる)。整形されたサバは仕上げの光沢を出すためにつばを付けながらタイル貼りの水受けや壁などで擦っていたが、現今はもっと良い方法が考案されているかもしれない。

参照

外部リンク

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