花無山

提供:安岐郷誌
(版間での差分)
移動: 案内, 検索
 
(2人の利用者による、間の7版が非表示)
1行: 1行:
{{Infobox|タイトル=山陵
+
{{Infobox|タイトル=山稜
 +
|画像=hananashiyama01.jpg
 
|名称=花無山
 
|名称=花無山
|位置=<map title="花無山山頂" lon="137.44525" lat="35.428306"/>  
+
|位置=N35:25:41.90, E137:26:42.89<map title="花無山山頂" lon="137.44525" lat="35.428306"/>  
|標高=701m
+
|標高=701.5m
 
}}
 
}}
{{ruby|'''花無山'''|はななしやま}}は[[阿木川ダム]]の北側の青野・飯沼・東野に跨った里山。[[阿木川]]と[[飯沼川]]に囲まれている。
+
{{ruby|'''花無山'''|はななしやま}}は[[阿木川ダム]]の北で青野・飯沼・東野に跨った里山。[[阿木川]]と[[飯沼川]]に囲まれている。
  
[[阿木の断層|屏風山断層]]によって隆起した山である。北面と西面は花崗岩の断層破砕帯で破砕された岩石を見ることができる。西麓を阿木川に沿って進む道はいつ岩石が落ちてくるか分からず走り抜けなければないという意味で「<strong>かけはし</strong>」と呼ばれていたという。
+
[[屏風山断層]]によって隆起した山である。北面と西面は花崗岩の断層破砕帯で破砕された岩石を見ることができる。西麓を阿木川に沿って進む道はいつ岩石が落ちてくるか分からず走り抜けなければないという意味で「<strong>かけはし</strong>」と呼ばれていたという。
  
 
山中にたいした花がない事から花無山という名が付いたと言われている。また[[巖邑府誌]]では全体的に丸く角 ({{ruby|端|はな}}) がないからではないかと推測している。
 
山中にたいした花がない事から花無山という名が付いたと言われている。また[[巖邑府誌]]では全体的に丸く角 ({{ruby|端|はな}}) がないからではないかと推測している。
  
 
平安時代の歌人[[w:西行|西行]]が「<strong>花なしの 峯に住みける うぐいすの おのれとないて 春を知るらん</strong>」と詠んだといい、花無山で庵を結んで住んだという伝説が残っている。
 
平安時代の歌人[[w:西行|西行]]が「<strong>花なしの 峯に住みける うぐいすの おのれとないて 春を知るらん</strong>」と詠んだといい、花無山で庵を結んで住んだという伝説が残っている。
 +
 +
{{年号|1703}} の東野村明細帳 (依馬文書) では「花無山飯沼境迄縦十九町・横三町二十間」とあり、村共有の柴山となっていた。明治末年からの植林によって現在は杉の森林となっている。
  
 
<gallery>
 
<gallery>
 +
File:hananashiyama01.jpg|<map title="東野" lat="35.434443" lon="137.423319" subtitle="花無山"/>09/06/14 国道257号の東野向島バス停から。
 
File:花無山01.jpg|<map title="東野" lon="137.462653" lat="35.425781" subtitle="花無山"/>02/01/03 東野から。
 
File:花無山01.jpg|<map title="東野" lon="137.462653" lat="35.425781" subtitle="花無山"/>02/01/03 東野から。
 
File:花無山02.jpg|<map title="東野" lon="137.460472" lat="35.428419" subtitle="花無山"/>02/01/03 東野から。
 
File:花無山02.jpg|<map title="東野" lon="137.460472" lat="35.428419" subtitle="花無山"/>02/01/03 東野から。
 
</gallery>
 
</gallery>
  
 +
== 四方山話 ==
 +
* 西行法師は三年の間、竹林庵を作って住んだ。「思へばただ花の無からん木の本に何をかけにて我が身住なむ」また「花無しの峯に住みける鶯のおのれと鳴いて春を和らする」と山家集等にあり、尾張風土記等にも書かれている (歴史教室テキスト安岐史略)。
 +
 +
== 関連項目 ==
 +
* [[阿木川ダム]]
 +
* [[巖邑府誌/東野#無花山]]
 +
 +
[[Category:山稜|はななしやま]]
 
[[Category:一分団|はななしやま]]
 
[[Category:一分団|はななしやま]]
 
[[Category:五分団|はななしやま]]
 
[[Category:五分団|はななしやま]]
[[Category:山陵|はななしやま]]
+
[[Category:東野|はななしやま]]

2009年7月11日 (土) 19:20時点における最新版

山稜
180px
花無山
位置N35:25:41.90, E137:26:42.89[MAP]
標高701.5m

花無山(はななしやま)阿木川ダムの北で青野・飯沼・東野に跨った里山。阿木川飯沼川に囲まれている。

屏風山断層によって隆起した山である。北面と西面は花崗岩の断層破砕帯で破砕された岩石を見ることができる。西麓を阿木川に沿って進む道はいつ岩石が落ちてくるか分からず走り抜けなければないという意味で「かけはし」と呼ばれていたという。

山中にたいした花がない事から花無山という名が付いたと言われている。また巖邑府誌では全体的に丸く角 ((はな)) がないからではないかと推測している。

平安時代の歌人西行が「花なしの 峯に住みける うぐいすの おのれとないて 春を知るらん」と詠んだといい、花無山で庵を結んで住んだという伝説が残っている。

1703年 (元禄16年/江戸初期) の東野村明細帳 (依馬文書) では「花無山飯沼境迄縦十九町・横三町二十間」とあり、村共有の柴山となっていた。明治末年からの植林によって現在は杉の森林となっている。

[編集] 四方山話

  • 西行法師は三年の間、竹林庵を作って住んだ。「思へばただ花の無からん木の本に何をかけにて我が身住なむ」また「花無しの峯に住みける鶯のおのれと鳴いて春を和らする」と山家集等にあり、尾張風土記等にも書かれている (歴史教室テキスト安岐史略)。

[編集] 関連項目

個人用ツール
名前空間

変種
操作
案内
Sponsored Link
ツールボックス
Sponsored Link