花無山
提供:安岐郷誌
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平安時代の歌人[[w:西行|西行]]が「<strong>花なしの 峯に住みける うぐいすの おのれとないて 春を知るらん</strong>」と詠んだといい、花無山で庵を結んで住んだという伝説が残っている。 | 平安時代の歌人[[w:西行|西行]]が「<strong>花なしの 峯に住みける うぐいすの おのれとないて 春を知るらん</strong>」と詠んだといい、花無山で庵を結んで住んだという伝説が残っている。 | ||
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+ | * 西行法師は三年の間、竹林庵を作って住んだ。「思へばただ花の無からん木の本に何をかけにて我が身住なむ」また「花無しの峯に住みける鶯のおのれと鳴いて春を和らする」と山家集等にあり、尾張風土記等にも書かれている (歴史教室テキスト安岐史略)。 | ||
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2009年7月11日 (土) 19:20時点における最新版
山稜 | |
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180px 花無山 | |
位置 | N35:25:41.90, E137:26:42.89 |
標高 | 701.5m |
屏風山断層によって隆起した山である。北面と西面は花崗岩の断層破砕帯で破砕された岩石を見ることができる。西麓を阿木川に沿って進む道はいつ岩石が落ちてくるか分からず走り抜けなければないという意味で「かけはし」と呼ばれていたという。
山中にたいした花がない事から花無山という名が付いたと言われている。また巖邑府誌では全体的に丸く角 (
平安時代の歌人西行が「花なしの 峯に住みける うぐいすの おのれとないて 春を知るらん」と詠んだといい、花無山で庵を結んで住んだという伝説が残っている。
1703年 (元禄16年/江戸初期) の東野村明細帳 (依馬文書) では「花無山飯沼境迄縦十九町・横三町二十間」とあり、村共有の柴山となっていた。明治末年からの植林によって現在は杉の森林となっている。
[編集] 四方山話
- 西行法師は三年の間、竹林庵を作って住んだ。「思へばただ花の無からん木の本に何をかけにて我が身住なむ」また「花無しの峯に住みける鶯のおのれと鳴いて春を和らする」と山家集等にあり、尾張風土記等にも書かれている (歴史教室テキスト安岐史略)。