阿弥陀堂 (打杭)
提供:安岐郷誌
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阿弥陀堂の横を抜け打杭峠に登る道は旧[[岩村街道]]である。 | 阿弥陀堂の横を抜け打杭峠に登る道は旧[[岩村街道]]である。 |
2010年8月8日 (日) 11:54時点における版
神社仏閣 | |
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180px 打杭の阿弥陀堂 | |
住所 | 岐阜県恵那市岩村町富田字打杭 |
位置 | N35:22:46.96/E137:27:29.24 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
打杭の
阿弥陀堂の横を抜け打杭峠に登る道は旧岩村街道である。
由緒書き
阿弥陀堂の由来
元禄十六年 (一七〇三) 富田村の差出帳にはお堂七尺四面境内竿除地とあり、境内には宝永五年 (一七〇八) の石碑がある。再建棟札によると宝暦四年 (一七五四) に再建しているので古くからの信仰の拠点であったことが伺われる。阿弥陀如来は極楽浄土を作り、そこを治めている親しみ深い仏である。阿弥陀如来は無量寿如来、無量光如来の極楽の世界に迎え入れる役割を果し「阿弥陀四十八願」の誓いがある。
明治四十四年に御本尊「阿弥陀仏像」を塗りかえた。平成二年にお堂を東側組十五軒で再建した。
境内には阿弥陀信仰の四十八夜を限りて念仏を精修した石塔が多く残っており、四十八日間、こもって無二の丹誠をこらした当時の信仰のお堂であったことが偲ばれる。
平成六年九月
いわむら町まちづくり実行委員会90x90px