阿木夏祭り

提供:安岐郷誌
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阿木夏祭りは毎年8月14日に阿木小学校のグラウンドで行われる阿木の納涼祭。ただし雨天の場合は小学校体育館や阿木高体育館で行われることもある。グラウンドには祭りの2〜3日前からやぐらが組まれる。

目次

歴史

阿木夏祭りとして阿木全体での祭が行われるようになったのは戦後からである。それまでは飯沼や広岡など地区のそれぞれで盆祭りが行われていた。戦争中に地下工場を掘るための工員として阿木に来ていた人たちは敗戦の知らせを聞き、丁度盆でもあったためやけくそになって一緒に盆踊りをしていた。

昭和50年代の阿木夏祭りは地区の青年団が中心になって準備をすすめ、13〜15日の3日で行われていたが。しかし 1987年 (昭和62年) から始まった中津川おいでん祭に参加者や要員を取られるようになったこと、さらに 1990年 (平成2年) のバブルの崩壊と景気後退で年々人が集まらなくなり、一時は的屋が一店しか出ないほどに衰退した。このため、おいでん祭と重なる13日を取りやめて14日に全てを盛り込んだところ、景気の回復もあって再び人が集まるようになった。現在でも時代に合わせて祭りは14日のみである。

2009年 (平成21年)、毎年校舎3階に設置されていた電光表示が新しくなった。

子供みこし

阿木の夏祭りは神社から神輿を出すようなことはなく、各地区ごとに毎年子供達が夏休みの前半を利用して作成している。みこし作り、みこし担ぎと呼ばれる地区の定例行事である。

昭和の頃は初日の明るいうちに阿木小学校から寺領-本庄-見沢-久須田-橋場というコースで廻っていた。

打ち上げ花火

祭りの始めには花火が打ち上げられる (里人に開始を知らせる目的もある)。以前は八屋砥または真原の阿木川周辺から打ち上げられていたが現在は久須田の倶楽部の上である。打ち上げ場所は事前・事後に消防団による放水が行われ打ち上げ中は立ち入り禁止となる。里の祭り規模にしては球数も多く尺玉も上がることからちょっとした穴場である。

打ち上げ花火は阿木界隈の企業や里人からの寄附によってまかなわれている。新聞の折り込みで配られる夏祭りの案内に寄付者の一覧と一言が載ることから、里人への報告も兼ねて、子供の誕生や成人、結婚、退職などの記念で寄附される方が多い。また山岡などからも見られることから阿木区外からの寄附も少なくないと聞いている。

時代ごとの催し物

保育園児の踊りが行われたりバンド演奏が行われたりと年によって様々である。昭和50-60年頃は阿木中学生による仮装行列が行われていた。

最近では地元の演歌歌手を呼んで歌謡コンサートが行われている。

盆踊り

盆踊りはグラウンド中央に設置されたやぐらを中心に行われる。やぐらで太鼓を鳴らすこともあるがあくまで調子を取るだけであって、基本的に校舎に設置されているスピーカーから唄が流される。踊りを習っている人たちが輪に散らばって手本となり一般人はそれに倣う。 盛り上がると踊りの輪が三重ほどに広がることもある。

踊りの曲目は毎年ほぼ変わらず、かわさき (郡上踊り)春駒 (郡上踊り)ブンガチャ節 (北島三郎)炭坑節などが定番である。しかし年によっては新しい曲や、保育園児などが披露した踊りの曲目などが入ることもある (この場合は踊りの人がリードを取る)。

昭和50年代にはアラレちゃん音頭 (Dr.スランプ アラレちゃん)踊るポンポコリン (ちびまるこちゃん) などのアニメソングやダンシングヒーロー (荻野目洋子) などの歌謡曲が何年か続けて使用されたこともあった。

餅投げ

餅投げ

祭りの最後には餅投げが行われる。年によっては餅と一緒に景品引換券のようなものが入っており後で交換する事もある。

露店

一般的な祭りの認識と比べると露店は多くない。阿木の人で出す 1〜2 張りのテントで飲み物や焼き鳥などを買うことが出来る。またこのテントでは昔から金魚すくいを行っている。それ以外の露店はイカ焼き、かき氷、ポテトフライなどおよそ 4〜6 店が出店している。

昭和50年代の前半頃まではお面や綿菓子、スーパーボールすくい、ヒヨコ売りなど多くの的屋が出ていたと記憶している。しかしバブル崩壊後には一時1店までに落ち込んだ。

祭りの後

祭りが終わるとグラウンドの照明が点けられて本部テントなどの片付けが行われる。

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