安岐史略/中世
提供:安岐郷誌
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平安時代 (794-1185年) | ||||
弘仁年間 (810-823年) | 天台宗大通山長楽寺開山。属坊十二坊を数える(寺蔵の歴代年数等書上帳控) | 日本歴史地名大系 | ||
838年 | 承和5年 | 東山道大井駅の官舎が衰退により倒壊。坂本駅子ことごとく逃亡。 | 続日本後紀 | |
879年 | 元慶3年 | 三代実録38巻に信濃国と美濃国の国境を定め、絵上郷に吉蘇・小吉蘇領村が所属と記 | 角川日本地名大辞典 | |
927年 | 延長5年 | 惠奈郡三座に坂本神社・中川神社・恵奈神社の記 | 延喜式神名帳 | |
承平年間 (931-938年) | 美濃国恵奈郡六郷の一つに安岐郷の記 | 和名抄 | ||
天慶-天徳 (938-960年) | 美濃国神名帳に阿木明神(阿気明神)・中津川明神・清坂明神・川上明神・恵奈明神の3社5神 | 角川日本地名大辞典 | ||
1155年 | 久寿2年 | 12月16日 藤原泰子死去により近衛家が遠山荘を継ぐ | 日本歴史地名大系 | |
鎌倉時代 (1185-1333年) | ||||
1185年 | 文治元年 | 5月1日 木曽義仲の妹の宮菊に源頼朝が遠山荘内の一村を与える。 | 吾妻鏡 | |
1185年頃 | 文治元年頃 | 源頼朝の功臣加藤景廉が美濃国遠山荘の地頭となる | 郷土資料辞典 岐阜県 | |
1221年 | 承久3年 | 景廉の子景朝が遠山荘を継ぎ姓を遠山に改める | 日本歴史地名大系 | |
室町時代 (1336-1573年) | ||||
永享年間 (1429-1440) | この頃から御番帳に遠山安木孫太郎の記載があり | 大日本地名辞書 | ||
1473年 | 文明5年 | 2月 信濃国伊那郡松尾城の小笠原家長と木曽谷の木曽家豊が東濃に侵攻し大井・荻之島の二城を攻略 | 日本歴史地名大系 | |
1487年 | 長享元年 | 義尚将軍記「長享元年九月十二日常徳院殿様江州御動座当時在番衆着到」に「濃州遠山安城孫次郎」と遠山安木家紋が記載(六角討伐に参加) | 大日本地名辞書 | |
戦国時代 (1493-1573年頃) | ||||
文亀年間 (1501-1503年) | 龍泉寺創建と伝わる | 現地碑文 | ||
天文年間 (1532-1554年) | 土岐右衛門守一族が流れ住んで右衛門平を開拓したという | 開拓者慰霊碑 | ||
安土桃山時代 (1568-1603年) | ||||
1571年 | 元亀2年 | 洪水と山崩れで大野村の大部分が埋没 | 開拓者慰霊碑 | |
霖雨により大野八幡神社が倒壊 | 恵那神社誌 | |||
1572年 | 元亀3年 | 10月 武田軍秋山信友により岩村城陥落。 | Wikipedia | |
1574年 | 天正2年 | 2月 武田勝頼が岩村城入り。飯狭間右衛門の謀反で明知城陥落。 | Wikipedia | |
龍泉寺が武田軍の兵火により焼失 | 現地碑文 |
※日付は旧暦も混在しています。