母衣ノ田
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{{ruby|'''母衣ノ田'''|ほろのた}}<map name="母衣ノ田" lat="35.404608" lon="137.483403"/>は[[大野]]の萩原から牧野に延びる沢沿いに開拓された圃場 ([[小字 (阿木)#二分団|阿木の小字]]参照)。一般には訛って<strong>ほらがた</strong>と呼ばれている。 | {{ruby|'''母衣ノ田'''|ほろのた}}<map name="母衣ノ田" lat="35.404608" lon="137.483403"/>は[[大野]]の萩原から牧野に延びる沢沿いに開拓された圃場 ([[小字 (阿木)#二分団|阿木の小字]]参照)。一般には訛って<strong>ほらがた</strong>と呼ばれている。 | ||
− | + | 名前の由来は、戦国時代に追っ手の目をくらますために女性物の衣を被って逃げていた[[右衛門平|右衛門]]が、ここまで来ればもう大丈夫とその衣を脱ぎ捨てた事から付いたと伝わっている。しかしこれが本当なら母衣とは女性の衣ではなく「赤母衣衆」が指すような戦国時代の武具であろう。 | |
− | + | また、大野からこの場所を見ると[[飯沼断層]]の低くなった所から沢沿いに奥ばったところに田がある。つまり本当のところは{{ruby|洞ノ田|ほらのた}} (奥ばった所の田んぼ) だったのではないだろうか。 | |
==関連項目== | ==関連項目== |
2009年8月26日 (水) 15:42時点における最新版
名前の由来は、戦国時代に追っ手の目をくらますために女性物の衣を被って逃げていた右衛門が、ここまで来ればもう大丈夫とその衣を脱ぎ捨てた事から付いたと伝わっている。しかしこれが本当なら母衣とは女性の衣ではなく「赤母衣衆」が指すような戦国時代の武具であろう。
また、大野からこの場所を見ると飯沼断層の低くなった所から沢沿いに奥ばったところに田がある。つまり本当のところは