母衣ノ田は大野の萩原から牧野に延びる沢沿いに開拓された圃場 (阿木の小字参照)。一般には訛ってほらがたと呼ばれている。
追っ手の目をくらますために女性物の衣を被って逃げた右衛門が、ここまで来ればもう大丈夫とその衣を脱ぎ捨てた事から母衣ノ田という名が付いたと伝わっている。しかし、これが本当なら母衣とは女性の衣ではなく「赤母衣衆」が指すような戦国時代の武具であろう。
大野からこの場所を見ると飯沼断層の低くなった所から沢沿いに奥ばったところに田がある。つまり元は洞ノ田 (奥の田) だったのではないだろうか。
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