遠山来由記/岩村城主遞代次序
提供:安岐郷誌
岩村城主逓代次序
岩村城築城について。築城の創始は何時の時代か全く不明である。遠山領主が土着して久しい事からその創造もまた遠くであろう。推測すると建久6年 (1195年/鎌倉) 以後だろうか (建久6年より寛延元年 (1748年/江戸中期) まで554年)。言い伝えによれば応仁2年 (1468年/室町) であるという (寛延元年より去ること281年前)。
○岩村城主遞代次序
岩村築城ノ事築城ノ創始何レノ時カ實二不分明遠山領主其來ル事久シ準知ス創造モ亦遠カラン耳
推議ス建久六年以後ナル歟建久六乙卯年ヨリ寛延元戊辰年迠五百五十四年
傳説ス應仁二年戊子ナリト寛延元ヨリ計之以前相去コトニ百八十一年也
- 加藤左衛門少尉藤原景廉
- 遠山左衛門尉藤原景朝
建長5年 (1253年/鎌倉) (景朝の頃) から永正5年 (1508年/戦国) (頼景の頃) まで年数およそ256年。その間にその党の人は最も多く諸記録にその名を出しているが、家系の連続は詳しく分かっていない。前述したように確かな所のみを挙げる。
- 遠山三郎兵衛尉景重
- 遠山孫太郎左衛門尉景長
- 遠山加藤次朝兼
前述の通り右の三人もまた遠山城守である。
- 遠山左衛門尉藤原頼景 永正年間 (1504-1520年/戦国) の頃。
- 遠山左衛門尉藤原景友 大永4年 (1524年/戦国) 卒。
- 遠山左衛門尉藤原景前 天文年中 (1532-1554年/戦国) の頃。弘治2年 (1556年/戦国) 卒。
- 遠山左衛門尉藤原景任 永禄年間 (1558-1569年/戦国) の頃。元亀3年 (1572/戦国) 卒。
- 御坊丸 元亀3年 (1572/戦国) 12月、齢8歳で家督を継ぐ。城主で居たのは僅か3ヶ月余り。
○加藤左衛門少尉藤原景廉
○遠山左衛門尉藤原景朝建長五癸丑年景朝現在ヨリ永正五戊申年頼景現在ニ至テ歳數凡二百五十六年斯間ニ於テ其黨ノ人最モ多ク諸記諸録二其名ヲ出スト雖モ家系ノ連續詳カナラサル故ニ今其ノ疑キヲ闕テコレヲ列出サヽル耳上ニ斷シ竟ルカ如シ
○遠山三郎兵衛尉景重
○遠山孫太郎左衛門尉景長
○遠山加藤次朝兼右三人是亦遠山城守ナルヘシ上ニ辨スルカ如シ
○遠山左衛門尉藤原頼景 永正年間現在
○遠山左衛門尉藤原景友 大永四年卒
○遠山左衛門尉藤原景前 天文年中現在弘治二年卒
○遠山左衛門尉藤原景任 永禄年間現在元亀三年卒
○御坊丸 元亀三年壬申十二月享齢八歳ニテ家督ス領城ヲコト僅三月餘
古文書の翻訳: このページは遠山来由記を現代語に翻訳したものです。より正確な表現を知るためには原文を参照してください。文中の(小さな薄い文字)は訳註を表しています。