遠山来由記/遠山七頭

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金山記によればそもそも東濃岩村霧城に昔源頼朝公の時代に加藤次郎景廉があり、その後胤である遠山一族 (前述) に己上七頭衆これなり云々と書かれている。考えてみると[[秋山晴近|秋山]]が岩村城を攻め落としたときに右の七頭衆が城に居り討ち死にしたか、またはその時に皆秋山に属して籠城したと思われる。
 
金山記によればそもそも東濃岩村霧城に昔源頼朝公の時代に加藤次郎景廉があり、その後胤である遠山一族 (前述) に己上七頭衆これなり云々と書かれている。考えてみると[[秋山晴近|秋山]]が岩村城を攻め落としたときに右の七頭衆が城に居り討ち死にしたか、またはその時に皆秋山に属して籠城したと思われる。
 
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2010年5月9日 (日) 14:40時点における版

金山記に出るもの

遠山一之丞遠山次郎三郎遠山徳林齎遠山三右衛門遠山四郎三郎遠山内膳遠山藤蔵 (己上)

金山記によればそもそも東濃岩村霧城に昔源頼朝公の時代に加藤次郎景廉があり、その後胤である遠山一族 (前述) に己上七頭衆これなり云々と書かれている。考えてみると秋山が岩村城を攻め落としたときに右の七頭衆が城に居り討ち死にしたか、またはその時に皆秋山に属して籠城したと思われる。

○遠山七頭 金山記ニ出
遠山一之丞 同次郎三郎 同徳林齎 同
三右衛門 同四郎三郎 同内膳 同藤藏己上

金山記云抑東濃岩村霧城ニ昔源頼朝公ノ御時加藤次郎景廉在
リ其後胤遠山一族ニ右擧己上七頭衆是ナリト云云按スルニ秋山
岩村没落ノ時右ノ七頭衆城ニ在テ討死ス然レハ
斯時皆秋山ニ屬シテ籠城セシト見ヘタリ


古文書の翻訳: このページは遠山来由記を現代語に翻訳したものです。より正確な表現を知るためには原文を参照してください。文中の(小さな薄い文字)は訳註を表しています。

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