遠山来由記/遠山氏

提供:安岐郷誌
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目次

景朝

景義

光資

景長

景廣

景俊

行景

景經

𣳾經

景綱

伊勢加藤左衛門尉

景前

遠山左衛門尉
景友の嫡男という

城内の神社に棟札が残っている。

奉造立八幡宮社頭一宇 遷宮師 法師 良辯
 大檀主遠山左衛門尉景前 敬白
 天門十六年丁未霜月十日 棟梁大工 熱田宮住人粟田源四郎守次 三郎右衛門宗教

法名

景前院殿前左金吾前宗護大禪定門 神儀
 弘治二年丙辰七月十三日

三河風土記(5)を調べてみると、文亀元年徳川長親公が北条早雲と戦った時の軍列に遠山左衛門尉景前が居る。しかし文亀元年は景前の天文16年から計ると47年前、また卒年弘治2年から56年前であり年が大きく離れていることから詳しくない。文亀年間はもっぱら頼景の年代であることから、長親公の軍に従ったものとは頼景であろう。それを記した文が恐らくその名を間違えたものと想われる。

是景友ノ嫡男ナリト云フ

 ○城内之神祠ニ棟札有リ
奉造立八幡宮社頭一宇 遷宮師 法師 良辯
 大檀主遠山左衛門尉景前 敬白
 天門十六年丁未霜月十日 棟梁大工 熱田宮住人粟田源四郎守次 三郎右衛門宗教

 ○法名
景前院殿前左金吾前宗護大禪定門 神儀
 弘治二年丙辰七月十三日

参河後風土記ヲ閲スルニ文亀元年辛酉年徳
川長親公北條早雲ト對戰ノ時遠山左衛門 ※1
尉景前軍列ノ中ニ在リ 今議ス文亀元年
ハ景前現在天文十六ヨリ計ルニ四十七年
以前亦卒年弘治二ヨリ計ルニ五十六年前
也年序相距コト遠シ故ニ未詳也按スルニ
文亀年間ハ専ラ頼景ノ時世ナリ然レハ長
親公ノ軍ニ從フ者ハ是頼景ナルヘシ記ノ
文恐ハ其名ヲ差フ耳想焉

※1 北条早雲 伊勢神九郎氏茂ト云関東北条家ノ元祖也北条五代記等ヲ見ヨ


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古文書の翻訳: このページは遠山来由記を現代語に翻訳したものです。より正確な表現を知るためには原文を参照してください。文中の(小さな薄い文字)は訳註を表しています。

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