巖邑府誌/森永貞付録

提供:安岐郷誌
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永貞によれば元震は土岐の里村を欠いているという。私が見聞きする範囲で少し附録を付けて加えておく。

 永貞曰元震闕土岐郡之里邑余以所聞
 見聊又附録之

目次

細野

細野 (土岐市鶴里町細野) は池田荘という。城府から三十里ばかり。民戸百余り。鷹峯、新田はこの部落である。繁岳山福昌寺は曹洞宗。東光山正宗寺も同宗で山田村の盛久寺の属末である。

○細野曰池田莊去城府三十里許民戸一
百餘鷹岑新田其部落也繁岳山福昌寺曹
洞宗也東光山正宗寺亦同宗而山田邑盛
久寺属末也

柿野

柿野 (土岐市鶴里町柿野) もまた池田荘という。細野に接し三河、尾張との境界を持つ。民戸百七十余り。岩村から名古屋や岡崎に向かう者はここを通るため駅路のような雰囲気がある。花立、雨沢、大沢、坂下、中沢は全てこの部落である。三国山と呼ばれる山がある。美濃、尾張、三河に跨っていることからこの名前が付く。山頂には金比羅の祠がある。遙か先に名古屋城、熱田の海、信州御嶽山、恵那山を望み絶景の地である。滝坂に侯家の林がある。神請山荘厳寺は曹洞宗で尾張白坂雲興寺の属末である。

○柹野又曰池田莊接細野為三河尾張之
疆場有民戸一百七十餘自岩邑到名古屋
及岡﨑者過之故有驛路之趣花立雨澤大
澤坂下中澤皆部落也有山称三國山跨于
美濃尾張三河因名如此山上有金毘羅祠
遙望名古屋城及熱田海信州御嶽惠那山
絶景之地也瀧阪有侯家林神請山莊巖寺
曹洞宗而尾州白坂雲興寺属末也

駄知

駄知 (土岐市駄知町) は稲口荘という。城府から二十四五里。民戸百七十余り。農閑期に陶器を作っている。陶芸家に源右衛、右源治という二家がいる。天堂山長久寺は臨済宗で京都妙心寺の属末である。

○駄知曰稲口莊去城府二十四五里有民
戸一百七十許農隙製陶器陶家有二曰源
右衛曰右源治天堂山長久寺臨濟宗而京
都妙心寺属末也

肥田

肥田 (土岐市肥田町肥田) は高田荘という (上中下と分かれて三郷と称する)。上肥田は城府から二十三里ばかり。小里、山田 (尾張) と境界を持つ。民戸百ばかり。中肥田七十余り、下肥田五十余り、合わせて二百三十余りである。川の水を岩山に引いて田畑に注いでいる場所がある。里人は棚井という。一景地である。竃池山遍照院は真言宗で高野山金剛蔵院の属末である。美濃諸旧記によれば土岐郡肥田城の主肥田玄蕃頭(げんばのかみ)家澄がここに居たという。以上は上肥田に属している。

中肥田は上肥田に接している。正覚山天福寺は臨済宗で同州細目村大仙寺の属末である。寺の傍らには八幡祠がある。下肥田は中肥田に接している。抜き書きすべきものはない。

○肥田分上中下称三郷 曰髙田荘上肥田去城府
二十三里許与小里山田属尾張 接疆民戸一
百許中肥田七十餘下肥田五十餘合為二
百三十餘戸有延河水於岩上泻田畝未定義文字 耳ケ.png
人曰棚井為一景地竃池山遍照院真言宗
而髙野山金剛藏院之属末也美濃諸舊記
曰土岐郡肥田城主肥田玄蕃頭家澄居之
以上属上肥田中肥田接上肥田正覚山天福寺臨
濟宗而同州細目邑大仙寺属末也八幡祠
在寺傍下肥田接中肥田無可抄録者

浅野

浅野 (土岐市肥田町浅野) は下肥田に接している (肥田と同じく高田荘という)。民戸六十余り。茶を作っている。龍雲山永松寺は臨済宗で京都妙心寺の属末である。美濃諸旧記によれば浅野城主の浅野十郎左衛門光同がここに居たという。

○淺野与肥田同曰高田荘接下肥田有民戸六十餘
製茶龍雲山永松寺臨濟宗而京都妙心寺
属末也美濃諸舊記曰淺野城主淺野十郎
左衛門光同居之

定林寺

定林寺 (土岐市泉町定林寺) は土岐川で隔てられている (荘号は浅野と同じ)。次月はこの部落である (四突ともいう)。洞口に鬼窟という岩窟がある。細い流れの中に巨岩が敷き詰められている。隙間があり中は暗く水が溜まっている。里人によれば窟の中の広いところは二三歩の広さがあり、昔盗賊の頭がここに隠れてよる盗みを働いていたという。本当かどうか。

○定林寺荘号与浅野同隔於土岐河次月其部落
又作四突洞口有岩窟曰鬼窟細流中疂巨石
有隙中暗籠水氣里人曰窟中廣所方二三
歩古昔賊主隠之為夜盗然否

河合

河合 (土岐市泉町河合) (荘号は前と同じ)。賤洞、新田はこの部落である。龍雲山島香寺は臨済宗で同州河辺村禅原寺の属末である。

○河合荘号同前賤洞新田部落也龍雲山島
香寺臨濟宗而同州河邉村禅原寺属末也

山野内

山野内 (瑞浪市明世町山野内) は遠山荘という。城府から二十里ばかり。仏日山明白寺は黄檗宗で近江国太田村正宗寺の属末である。山麓に八幡廟がある。

○山野内曰遠山荘去城府二十里許佛日
山明白寺黄檗宗而江州太田村正宗寺属
末也八幡廟在山麓

清水

清水 (瑞浪市土岐町清水) は稲口荘で神箆の属村である。

○清水稲口荘神箆属村也

一日市場

一日市場 (瑞浪市土岐町一日市場) も神箆の属村である。八幡廟があり仲秋十五日にこれを祭っている。天徳山正源寺は臨済宗である。

○一日市場是亦神箆属村有八幡廟仲秋
十五日祭之天徳山正源寺臨濟宗也

市原

市原 (瑞浪市土岐町市原) も神箆の属村である。報恩山禅躰寺は臨済宗である。村内に南宮祠がある。石碑については元震が既に書いているので私が見るところで記す。道を隔てて二箇所に並ぶ。東方の碑列は十の巖邑府誌 五輪塔1.png図。西方の碑列は九つ、その内五つは巖邑府誌 五輪塔2.png図。四つは巖邑府誌 五輪塔3.png図。そして左右の黒点は全て文字である。銘は「定林寺殿在暦應二年乙卯二月二十三日」である。

○市原亦神箆属邑也報恩山禪躰寺臨濟
宗也有南宮祠邑中石碑元震已辨之余以
所觀記之隔路列于二所東方列碑十巖邑府誌 五輪塔1.png
如圖西方列碑九内五巖邑府誌 五輪塔2.png如圖四巖邑府誌 五輪塔3.png
如圖而左右黒点皆文字也如此銘定林寺
殿在暦應二年乙卯二月二十三日

猿子

猿子は稲口荘という。小さい白山祠がある。御堂山常楽院観音寺は真言宗である。村民の中島小左衛門というものが酒を造っている (中島醸造(株))。元禄中の酒を貯める。また大明萬暦の物と言われる古琴を所有している。

○猿子曰稲口荘有白山祠小御堂山常樂
院観音寺真言宗也村民中島小左衛門者
造酒貯元禄中之酒又藏古琴曰大明萬暦
中物也

神箆

神箆は土岐稲口荘という。城府から二十四五里で民家は櫛歯のように隙間なく並んでいる。市街地の雰囲気である。伊勢神宮に詣でる者は大井駅から西竹折に入り、この村を経て高山に至る。中尾、新田、名滝、半入洞、奥名、下沢、荘洞は全てこの部落である。鶴阜に大神廟があり七月二十五日に祭っている。瑞厳山信光寺は臨済宗である。瑞桜山実相院法明寺は天台宗である。里人によれば桜堂は薬王仏を安置し、舞楽の木面を所蔵している。とても古いものだという。

○神箆曰土岐稲口荘也去城府二十四五
理民屋櫛比有街市趣詣伊勢大神者自大
井驛西入竹折経此邑到高山中尾新田名
瀧半入洞奥名下澤荘洞皆部落也天神廟
在鶴阜七月廿五日祭之瑞巌山信光寺臨
濟宗也瑞櫻山實相院法明寺為天台宗里
人曰櫻堂安置樂王佛藏舞樂之木面頗曰
舊者

大草

大草 (瑞浪市土岐町大草) は稲口荘という。神箆村の属村である。民戸は僅か十余り。山道を経て恵那郡椋実 (或いは栾峯とも言う) に至る。屏風嶽は非常に険しいという。

○大草曰稲口荘神箆村属邑民戸僅十餘
経山路到惠那郡椋実或作欒峯曰屏風嶽險悪
甚也


古文書の翻訳: このページは巖邑府誌を現代語に翻訳したものです。より正確な表現を知るためには原文を参照してください。文中の(小さな薄い文字)は訳註を表しています。

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