巖邑府誌/續年譜

提供:安岐郷誌
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宝暦3年 (1753年/江戸中期)
4月、日光山祭禮奉行となる。
宝暦8年 (1758年/江戸中期)
12月、郡上侯の金森頼錦 (兵部少輔と称す) が国を除かれる (郡上一揆)。侯は台命を奉じその城村を収める。
宝暦12年 (1762年/江戸中期)
12月、奏者番となる。
安永2年 (1773年/江戸中期)
12月、飛騨高山の民が乱をなす (安永騒動)。郡官が制したが敵わず、早急に赴いて援助する。騒動の頭を捉えて固く沈静化する。
安永5年 (1776年/江戸中期)
4月、大駕篭で日光山に詣でる。命を受け小来川(おころがわ)を警備する。
天明元年 (1781年/江戸中期)
4月、侯が隠居し尚道公 (諱は乗保) が継ぐ (公は福知山侯の庶子で龍玄公の孫)。
天明2年 (1782年/江戸中期)
2月、大坂城の山里営に加番。
天明3年 (1783年/江戸中期)
7月2日、乗薀公が江戸で没する。享年68 (釈号を大良公という)。
天明4年 (1784年/江戸中期)
5月、奏者番となる。
天明6年 (1786年/江戸中期)
11月、日光山に代拝する。
寛政10年 (1798年/江戸中期)
8月、西城若年寄 (西の丸の若年寄) となる。
文化元年 (1804年/江戸後期)
8月、本城若年寄 (本丸の若年寄) に転じる。
文化3年 (1806年/江戸後期)
10月、命を受けて大坂城の城代となる。
文化7年 (1810年/江戸後期)
6月、西城老中となる。
文政9年 (1826年/江戸後期)
6月26日、公が江戸で没する。享年76。嫡の大成公 (諱を乗友) が先に亡くなっているため今候 (諱を乗美) が継ぐ (尚道公の次子)。
文政10年 (1827年/江戸後期)
2月、大坂城の山里営に加番。
天保2年 (1831年/江戸後期)
4月、命を受け日光山に代拝する。
天保6年 (1835年/江戸後期)
2月、大坂城の山里営に加番。
天保12年 (1841年/江戸後期)
2月、また大坂城の山里営に加番。
天保13年 (1842年/江戸後期)
12月、公が隠居し代を子の乗喬公が継ぐ。

国家の幸福は永遠である。

○寶暦三年癸酉夏四月為日光山祭禮奉行
○八年戌寅冬十二月郡上候金森頼錦称兵部少
國除
候奉
台命収其城邑
○十二年壬午冬十二月為奏者
○安永二年癸午冬十一月飛彈高山民為乱
郡官不能制發卒徃援擒其乘魁固鎮撫之
○五年丙申夏四月
大駕詣日光山奉名戍小來川口
○天明元年辛丑夏四月
侯告老
尚道公諱乗保 嗣立公福知山侯之庶子龍玄公之孫也
○二年壬寅春二月副鎮大坂城山里営
○三年癸卯秋七月二日
乗薀公薨于東都享年六十八釋号曰大良公
○四年甲辰夏五月為奏者
○六年丙午冬閏十一月奉 命代拜日光山
○寛政十年戌午秋八月為 西城若年寄
○文化元年甲子秋八月轉 本城若年寄
○三年丙寅冬十月奉 命鎮守大坂城
○七年庚午夏六月為 西城閣老
○文政九年丙戌夏六月二十六日
公薨東都享年七十八
嫡大成公諱乗友 先卒是以
今侯諱乗美 嗣立尚道侯次子也
○十月丁亥春二月副鎮大坂城山里営
○天保二年辛卯夏四月奉 命代拜日光山
○六年乙未春二月副鎮大坂城山里営
○十二年辛丑春二月又副鎮大坂城山里営
○十三年壬寅冬十一月
侯告老
世子乗喬侯嗣
國祚無窮


古文書の翻訳: このページは巖邑府誌を現代語に翻訳したものです。より正確な表現を知るためには原文を参照してください。文中の(小さな薄い文字)は訳註を表しています。

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