巖邑府誌

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寛延以来死蔵されていた巖邑府誌であるが、天保時代に同じく地誌を編纂しようとしていた{{ruby|<strong>森永貞</strong>|もりながさだ}}の目に触れて {{年号|1843}} に添え書きや付録が加えられた。
 
寛延以来死蔵されていた巖邑府誌であるが、天保時代に同じく地誌を編纂しようとしていた{{ruby|<strong>森永貞</strong>|もりながさだ}}の目に触れて {{年号|1843}} に添え書きや付録が加えられた。
  
以下は巖邑府誌をオープンコンテンツ用に現代語へ翻訳したものである<ref>原文は日本の旧著作権法第23条及び著作権法附則第2条の規定により著作権の保護期間が満了。</ref>
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以下は巖邑府誌をオープンコンテンツ用に現代語へ翻訳したものである<ref>原文は日本の旧著作権法第23条及び著作権法附則第2条の規定により著作権の保護期間が満了。</ref>。また巖邑府誌は「岩村町史資料篇」として[[恵那市中央図書館]]、中津川市立図書館に蔵書がある。
  
 
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2009年8月26日 (水) 12:31時点における最新版

巌邑府誌(いわむらふし)は 1751年 (宝暦元年/江戸中期) に町医者首藤元震(しゅどうげんしん)によって書かれた岩村藩の地誌。藩史や領内の歴史、神社仏閣、伝承、特産品などについて漢文調で書かれており、江戸時代中期の岩村周辺地域の様子を窺い知る事のできる資料である。

寛延以来死蔵されていた巖邑府誌であるが、天保時代に同じく地誌を編纂しようとしていた森永貞(もりながさだ)の目に触れて 1843年 (天保14年/江戸後期) に添え書きや付録が加えられた。

以下は巖邑府誌をオープンコンテンツ用に現代語へ翻訳したものである[1]。また巖邑府誌は「岩村町史資料篇」として恵那市中央図書館、中津川市立図書館に蔵書がある。

[編集] 目次

巖邑府誌題言

巖邑府誌巻之一

首藤元震士發輯
巖邑府誌巻之一終

巖邑府誌巻之二

首藤元震士發輯
  • 城府 ─ 恵那市岩村町
  • 大圓寺 ─ 恵那市岩村町大円寺
  • 富田 ─ 恵那市岩村町富田
巖邑府誌巻之二終

巖邑府誌巻之三

首藤元震士發輯
  • 飯狭 ─ 恵那市岩村町飯羽間
  • 安岐 ─ 中津川市阿木
  • 飯妻 ─ 中津川市飯沼
  • 東野 ─ 恵那市東野
  • 中野 ─ 恵那市長島町中野
  • 永田 ─ 恵那市長島町永田
  • 野井 ─ 恵那市三郷町野井
  • 郡隅 ─ 恵那市長島町久須美・武並町藤
  • 竹折 ─ 恵那市武並町竹折
  • 狭々羅岐 ─ 恵那市三郷町佐々良木
巖邑府誌巻之三終

巖邑府誌巻之四

首藤元震士發輯
  • 山田 ─ 恵那市山岡町馬場山田・田沢
  • 上村 ─ 恵那市上矢作町
  • 漆原 ─ 恵那市上矢作町漆原
  • 下村 ─ 恵那市上矢作町下村
  • 串原 ─ 恵那市串原
巖邑府誌巻之四終

附録

附録終
右巖邑府誌一冊以古寫本書寫之
 明治三十三年庚子年十月

[編集] 訳註

  • 欄外の添え書き (転記の課程で後世に追記されたもの) は薄い文字で、またこの翻訳作業での訳註は小さな薄い文字で記述している。また訳文の検証が可能なように原文中の誤字、旧字、当て字と思われるものもなるべくそのまま記載している。
  • 各章の小見出しは Wiki での編集作業のために追加したものである。
  • 原文は「岩村町史資料篇一」昭和53年 岩村町教育委員会 に基づく (転記版が何種類か存在する)。
  1. ^ 原文は日本の旧著作権法第23条及び著作権法附則第2条の規定により著作権の保護期間が満了。
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