巖邑府誌/巖邑府誌題言

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(ページの作成: {{巖邑府誌}} 天保2年 {{note|(1831年/江戸後期)}} 秋、私は侯命に勤めて領内を広く巡り、時に秘密裏に見聞きした所を記録した。一書作...)
 
 
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天保2年 {{note|(1831年/江戸後期)}} 秋、私は侯命に勤めて領内を広く巡り、時に秘密裏に見聞きした所を記録した。一書作ろうと志はあるが未だに果たしていない。
 
天保2年 {{note|(1831年/江戸後期)}} 秋、私は侯命に勤めて領内を広く巡り、時に秘密裏に見聞きした所を記録した。一書作ろうと志はあるが未だに果たしていない。
  
最近、たまたま首藤元震の編纂した巖邑府誌というものを読んでみたところ、その領内の記述は根拠も明確で細かく行き届くよう勤めたものであった。しかし惜しい事に寛延以来知られることもなく仲間の箱の中に保管されいた。私が以前に見聞きした内容をその上に蝿書 {{note|(欄外注記)}} してその年譜を続け、また別に駿河、西美濃の隔領地記を作ってその後に添付する。これで領内の地誌が完備されたと言えるだろう。
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最近、たまたま首藤元震の編纂した巖邑府誌というものを読んでみたところ、その領内の記述は根拠も明確で細かく行き届くよう勤めたものであった。しかし惜しい事に寛延以来知られることもなく学問仲間の家の箱に保管されいた。私が以前に見聞きした内容をその上に蝿書 {{note|(欄外注記)}} してその年譜を続け、また別に駿河、西美濃の隔領地記を作ってその後に添付する。これで領内の地誌が完備されたと言えるだろう。
  
 
この編は元々世に公表すべきものではない。しかし我が藩の士でまだ領内を巡っていない者が繰り返しこれを読めば、家を出なくてもあまねく領内の事を知ることが出来るだろう。
 
この編は元々世に公表すべきものではない。しかし我が藩の士でまだ領内を巡っていない者が繰り返しこれを読めば、家を出なくてもあまねく領内の事を知ることが出来るだろう。

2009年7月27日 (月) 10:36時点における最新版

天保2年 (1831年/江戸後期) 秋、私は侯命に勤めて領内を広く巡り、時に秘密裏に見聞きした所を記録した。一書作ろうと志はあるが未だに果たしていない。

最近、たまたま首藤元震の編纂した巖邑府誌というものを読んでみたところ、その領内の記述は根拠も明確で細かく行き届くよう勤めたものであった。しかし惜しい事に寛延以来知られることもなく学問仲間の家の箱に保管されいた。私が以前に見聞きした内容をその上に蝿書 (欄外注記) してその年譜を続け、また別に駿河、西美濃の隔領地記を作ってその後に添付する。これで領内の地誌が完備されたと言えるだろう。

この編は元々世に公表すべきものではない。しかし我が藩の士でまだ領内を巡っていない者が繰り返しこれを読めば、家を出なくてもあまねく領内の事を知ることが出来るだろう。

 天保14年 (1843年/江戸後期) 秋9月15日

森永貞順卿誌

巖邑府誌題言

天保辛夘秋余奉
侯命徧巡封内時竊欲録所見聞以為一書
有志未果也頃者偶讀首藤元震所撰巖邑
府誌者其於封内事援據纎悉可謂勉矣惜
乎寛延以来徒藏之於笥中莫有知者矣余
因取曩所見聞蝿書之其顛且續其年譜又
別為駿河西美濃隔封記以附其後於是封
内地誌可謂全備歟此篇固非可公之於世
者唯我藩之士未巡封内者反復讀之則不
出戸庭徧知封内之事矣

 天保癸夘秋九月望

森永貞順卿誌


古文書の翻訳: このページは巖邑府誌を現代語に翻訳したものです。より正確な表現を知るためには原文を参照してください。文中の(小さな薄い文字)は訳註を表しています。

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