巖邑府誌/永田
提供:安岐郷誌
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○村の中には曹洞宗の黒衣僧寺である大養山高安寺<map lat="35.4425" lon="137.396625" title="大養山高安寺"/>がある。瑞現寺に属している。慶長 19 年 {{note|(1614年/江戸初期)}} にこの村の長が建てた物である。 | ○村の中には曹洞宗の黒衣僧寺である大養山高安寺<map lat="35.4425" lon="137.396625" title="大養山高安寺"/>がある。瑞現寺に属している。慶長 19 年 {{note|(1614年/江戸初期)}} にこの村の長が建てた物である。 | ||
2009年6月1日 (月) 14:49時点における版
○永田は中野の西南に位置する。戸数五十余り、新切、菅沼、新田は全てこの部落である。この田園は山際で、この川は西嶺の下を過ぎて岐蘇川に流れる。里社は野井の境の小端原にある。
永田○永田在中野西南其田園傍山其水過西 ※1
岑下入岐蘇河里社在小端原野井界※1 民戸五十餘新切菅沼新田皆部落也
○村の中には曹洞宗の黒衣僧寺である大養山高安寺がある。瑞現寺に属している。慶長 19 年 (1614年/江戸初期) にこの村の長が建てた物である。
○大養山高安寺在邑中曹洞宗黒衣属干瑞
現寺慶長十九年其邑長氏所建也
古文書の翻訳: このページは巖邑府誌を現代語に翻訳したものです。より正確な表現を知るためには原文を参照してください。文中の(小さな薄い文字)は訳註を表しています。