巖邑府誌/竹折
提供:安岐郷誌
竹折
竹折
○竹折在野井北五六里倭名集已載其名
所傳〓矣東山故道経此出大井今地名驛
乃〓驛之趾也又有地名牧岑即今在東山
道路中一道分於竹折可適土岐郡邑此謂
下街道田賦属于中等其水西泻為土岐河
傳言天正初市川民部者領之
銀松山瑞現寺
銀松山瑞現寺は村の中にある。曹洞宗で開基は分かっていない。慶安4年 (1651年/江戸初期) に曹洞宗の和尚青山がここに居始める。これより燈脈を伝え長栄 (中野)、高安 (永田) の二寺はこの属末である。
○銀松山瑞現寺在邑中曹洞宗開基未審
慶安四年和尚青山始居焉自是傳燈脉長
栄中野高安永田二寺為其属末
古文書の翻訳: このページは巖邑府誌を現代語に翻訳したものです。より正確な表現を知るためには原文を参照してください。文中の(小さな薄い文字)は訳註を表しています。