巖邑府誌/野井

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== 武並廟 ==
 
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○村内の平林に{{gps|武並廟|35.42174|137.3828}}がある。柏の古木の森は鬱蒼としていて日の光は昼でも暗く木々の大きさは数囲、まるで船舶の帆柱のようである。村の民は中秋の新月にこれを祭り、舞台を建てて観劇するのが毎年の習わしである。
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村内の平林に'''武並廟'''<map lat="35.42174" lon="137.3828" title="武並廟"/>がある。柏の古木の森は鬱蒼としていて日の光は昼でも暗く木々の大きさは数囲、まるで船舶の帆柱のようである。村の民は中秋の新月にこれを祭り、舞台を建てて観劇するのが毎年の習わしである。
  
 
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== 白峰山威代寺 ==
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2009年8月5日 (水) 20:10時点における最新版

野井

[編集] 野井

野井は永田の西で飯狭の北にある。戸数は百四十戸余り、赤坂、新田はこの部落である。

○野井在永田西飯狭北 ※1

※1 民戸百四十餘赤坂新田部落也

[編集] 武並廟

村内の平林に武並廟[MAP]がある。柏の古木の森は鬱蒼としていて日の光は昼でも暗く木々の大きさは数囲、まるで船舶の帆柱のようである。村の民は中秋の新月にこれを祭り、舞台を建てて観劇するのが毎年の習わしである。

○武並廟在邑中平林古栢森鬱日色晝暗
皆大數圍可以為海舶㠶柱也其民以中秋
朔祭之設戯塲為観比年為例也

[編集] 威代寺

白峰山威代寺[MAP]は慶長 4 年 (1599年/安土桃山) に建立された臨済宗の黒衣僧寺である。現在は明知の龍護寺に属している。明暦 2 年 (1656年/江戸初期) に檀家の連中が喧嘩別れして二分されたという。その一寺である地久山天長寺[MAP]丹羽氏定侯が命じて妙仙寺に属し曹洞宗に改めたと云う。これもまた黒衣僧の居る寺である。

○白峰山威代寺慶長四年建之臨濟黒衣
僧也今属于明知龍護寺明暦二年因檀徒
不知而分為二寺其一寺曰地久山天長寺
侯氏定命属于妙仙寺更曹洞宗亦黒衣僧


古文書の翻訳: このページは巖邑府誌を現代語に翻訳したものです。より正確な表現を知るためには原文を参照してください。文中の(小さな薄い文字)は訳註を表しています。

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